都はるみのラストステージとは? わかりやすく解説

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都はるみのラストステージ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 00:44 UTC 版)

第35回NHK紅白歌合戦」の記事における「都はるみのラストステージ」の解説

都のステージ異様な程の興奮包まれ語り継がれている。 人気絶頂だったこの年3月、都は「普通のおばさんなりたい」の流行語同時に突然の引退宣言ラストステージとなる本紅白では引退花道として大トリ務めることになり、本紅白例年以上に注目浴びていた。都の歌唱前、鈴木光子に「司会者として言葉要りません。人生の先輩として言葉送ってあげてください」と述べ光子両目に涙を浮かべながら「デビューして20年満開のまま散りたいという、都はるみさん…都はるみさんは、デビュー20年そして紅白出場20回です。そして今夜のこの紅白を、最後花道として、歌手生活別れ告げます。あと、十何分間で北村春美(=都の本名)さんです。20年ありがとう、さようなら…全国皆さん、『夫婦坂』です」との曲紹介送られ、都は大歓声ステージへと降りていった。 都は大トリ曲だった「夫婦坂」を涙を堪えて歌いきるも、歌唱終了直後一礼したまま感極まって顔を上げられなくなり会場からは割れんばかりの拍手30秒以上に渡って続いたそのうち会場からは「アンコールアンコール…」の大声鳴り響いた。この時、鈴木泣き崩れそうになり立ち尽くしたままの都に同意求め、「紅白史上初のアンコールが行われ、オーケストラは都の代表曲好きになった人」を演奏。都は1コーラス目では大粒の涙を流したまま声が詰まって全く歌えず、他の歌手たちが都を囲んで合唱紅組歌手中には水前寺八代亜紀石川さゆり小柳ルミ子など、泣きながら都に寄り添い歌唱していた)。2コーラス目には鈴木や他歌手達の催促もあり、都は最後の力を振り絞る様に声を震わせながら歌唱した。 このアンコール起こった際に鈴木発した「私に1分間時間ください」の句を含むスピーチは、放送史上に残るもので、次の通りであった。 (都の「夫婦坂」の歌唱終わり会場からの拍手歓声アンコール…」の声援鳴り響く皆さん皆さん、ご静粛に願います皆さん、ご静粛に願います、私の話を聞いてください! はるみさんのために拍手と涙をありがとうございました全国家庭でもおそらくこういう光景があろうかと思います。その拍手と涙は、はるみさんのアンコール期待してる声だと私は理解いたします。(会場からの拍手)しかしです皆さん皆さん私ども一度そのことをはるみさんにお願いしました。しかし、はるみさんは今の「夫婦坂」で燃え尽きたいとそう仰って全て拒否なさいました練習もしてません。キー合わせてありません。ということはプロ歌手として歌わないということです。しかしです、私に1分間時間ください! 今、交渉してます。(再び会場から拍手交渉してみます、ちょっと待ってください! (鈴木都に駆け寄る)はるみさん、はるみさん、あなたが燃え尽きたのはよく分かる。ね。だけどもこういう状態です。1曲歌う気力ありますか? 1曲歌う気力ありますか?? (都の了承得られないまま、「好きになった人」の演奏が始まる)お願いしますお願いします。いい、如何ですか? (都が泣きながら「はい」と返事をする)歌いますお待たせしました! これが都はるみさんの最後の曲です。皆さんどうぞ一緒に歌ってあげてください練習何もしてない、その点どうぞご容赦願いますお許しください、どうぞ! さあ、はるみちゃんいこう! (「好きになった人」の1番が始まる) 鈴木行為当時司会逸脱が過ぎるとの批判受けたが、この「私に1分間時間ください」は当時流行語となり、後に放送史に残る名文句一つとなった実際一連の段取りについて、鈴木本人スタッフ周到に計画していた(ただし鈴木のこの台詞台本になく本人自身言葉であった)。当初番組中盤に都が「夫婦坂」を歌い大トリ歌唱終わった直後アンコール応えてもらうという計画があった(都のラストステージであるため、番組盛り上げるためにも、彼女に真ん中最後とで2曲歌ってもらうのがベスト考えスタッフがいた)。しかし役員待遇鈴木は、紅白選曲あくまでも1人1曲であり、将来選曲方法影響することを危惧して、この計画反対。ただし、大トリで都が「夫婦坂」を歌いそのままアンコール応えてもらうのは問題がなく、自然な流れであると提案した。この鈴木提案採用されスタッフ都にアンコール応えてもらえるよう交渉行ったが、都は「夫婦坂」1曲に集中したいとの願いから、この申し出頑なに拒否。しかし、スタッフ諦めことなく台本は「夫婦坂」を歌い終わった後の部分を、3分間空白ページにした(実際大トリの都が歌い出したのは23:30という紅白大トリとしては異例早い時刻だった)。スタッフは「もし都さんが歌えなくても、集まっている出場歌手合唱とすれば良い演出になるだろう」と踏んでいた。当初鈴木交渉は、本番直前行われた通しリハーサル」で決定されたが、この時点では両軍歌手リーダー水前寺北島)とバンド指揮ダン池田交渉することになっていた。ところが本番になり、鈴木突如直接本人交渉する。なお、「私に1分間時間ください」の「1分間」とは、都に交渉し始めてから「好きになった人」の演奏が始まるまでの時間で、事前に鈴木計算していた。 今回出場歌手数を20組に減らしたのは、都の「さよならコーナー」を制作するためとの推測流れていた。「アンコ椿は恋の花」、第16回1965年)での初出場時に歌唱した「涙の連絡船」、第27回1976年)での初紅組トリおよび大トリ担当時に歌唱した「北の宿から」、本紅白直前12月21日発表した五木ひろし(都と同期)とのデュエット曲「ふたりのラブ・ソング」などをメドレー歌唱するのでは噂されたが、実際は「夫婦坂」1曲であった都に対抗する白組トリについては、『日本歌謡大賞』と『日本レコード大賞』を受賞した長良川艶歌」を持つ五木と、『日本作詩大賞』を受賞した北の螢」を持つ進一による事実上一騎討ちとなった最終的に都と五木同期親し間柄だが、ここ数年における都の対抗者が進一五木対抗者は八代だった)ということ決め手となって進一起用決定した本放送終了後には、都を送るべく出場歌手一同によって「アンコ椿は恋の花」(都は紅白歌唱歴がなかった)の大合唱行われた1994年に『思い出紅白歌合戦』(BS2)で本紅白再放送された際、その模様特典映像として放送された。 都は5年後第40回1989年)に出場(「アンコ椿は恋の花」を歌唱)し、これを機に歌手活動再開させている(同日のみの復帰発表していたが、翌1990年歌手活動を完全再開。なお、1987年には音楽プロデューサーとして活動再開していた)。本紅白から10年後の第45回1994年)では今回以来大トリ務めた復帰翌年第41回でも紅組トリ経験あり)。

※この「都はるみのラストステージ」の解説は、「第35回NHK紅白歌合戦」の解説の一部です。
「都はるみのラストステージ」を含む「第35回NHK紅白歌合戦」の記事については、「第35回NHK紅白歌合戦」の概要を参照ください。

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