都はるみのラストステージ
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「第35回NHK紅白歌合戦」の記事における「都はるみのラストステージ」の解説
都のステージは異様な程の興奮に包まれ、語り継がれている。 人気絶頂だったこの年3月、都は「普通のおばさんになりたい」の流行語と同時に突然の引退を宣言。ラストステージとなる本紅白では引退の花道として大トリを務めることになり、本紅白は例年以上に注目を浴びていた。都の歌唱前、鈴木が光子に「司会者としての言葉は要りません。人生の先輩として言葉を送ってあげてください」と述べ、光子が両目に涙を浮かべながら「デビューして、20年。満開のまま散りたいという、都はるみさん…都はるみさんは、デビュー20年そして紅白出場も20回です。そして今夜のこの紅白を、最後の花道として、歌手生活に別れを告げます。あと、十何分間で北村春美(=都の本名)さんです。20年間ありがとう、さようなら…全国の皆さん、『夫婦坂』です」との曲紹介に送られ、都は大歓声のステージへと降りていった。 都は大トリ曲だった「夫婦坂」を涙を堪えて歌いきるも、歌唱終了直後に一礼したまま感極まって顔を上げられなくなり、会場からは割れんばかりの拍手が30秒以上に渡って続いた。そのうち会場からは「アンコール、アンコール…」の大声が鳴り響いた。この時、鈴木は泣き崩れそうになり立ち尽くしたままの都に同意を求め、「紅白史上初のアンコール」が行われ、オーケストラは都の代表曲「好きになった人」を演奏。都は1コーラス目では大粒の涙を流したまま声が詰まって全く歌えず、他の歌手たちが都を囲んで大合唱(紅組歌手の中には水前寺・八代亜紀・石川さゆり・小柳ルミ子など、泣きながら都に寄り添い歌唱していた)。2コーラス目には鈴木や他歌手達の催促もあり、都は最後の力を振り絞る様に声を震わせながら歌唱した。 このアンコールが起こった際に鈴木が発した「私に1分間時間をください」の句を含むスピーチは、放送史上に残るもので、次の通りであった。 (都の「夫婦坂」の歌唱が終わり、会場からの拍手と歓声「アンコール…」の声援が鳴り響く)皆さん、皆さん、ご静粛に願います。皆さん、ご静粛に願います、私の話を聞いてください! はるみさんのために拍手と涙をありがとうございました。全国の家庭でもおそらくこういう光景があろうかと思います。その拍手と涙は、はるみさんのアンコールを期待してる声だと私は理解いたします。(会場からの拍手)しかしです皆さん、皆さん。私どもは一度そのことをはるみさんにお願いしました。しかし、はるみさんは今の「夫婦坂」で燃え尽きたいとそう仰って、全てを拒否なさいました。練習もしてません。キーも合わせてありません。ということはプロ歌手としては歌わないということです。しかしです、私に1分間時間をください! 今、交渉してみます。(再び会場から拍手)交渉してみます、ちょっと待ってください! (鈴木が都に駆け寄る)はるみさん、はるみさん、あなたが燃え尽きたのはよく分かる。ね。だけどもこういう状態です。1曲歌う気力がありますか? 1曲歌う気力がありますか?? (都の了承が得られないまま、「好きになった人」の演奏が始まる)お願いします、お願いします。いい、如何ですか? (都が泣きながら「はい」と返事をする)歌います。お待たせしました! これが都はるみさんの最後の曲です。皆さんどうぞ一緒に歌ってあげてください。練習も何もしてない、その点どうぞご容赦願います。お許しください、どうぞ! さあ、はるみちゃんいこう! (「好きになった人」の1番が始まる) 鈴木の行為は当時司会の逸脱が過ぎるとの批判も受けたが、この「私に1分間時間をください」は当時の流行語となり、後に放送史に残る名文句の一つとなった。 実際は一連の段取りについて、鈴木本人やスタッフは周到に計画していた(ただし鈴木のこの台詞は台本になく本人自身の言葉であった)。当初、番組の中盤に都が「夫婦坂」を歌い、大トリの歌唱が終わった直後にアンコールに応えてもらうという計画があった(都のラストステージであるため、番組を盛り上げるためにも、彼女には真ん中と最後とで2曲歌ってもらうのがベストと考えるスタッフがいた)。しかし役員待遇の鈴木は、紅白の選曲はあくまでも1人1曲であり、将来の選曲方法に影響することを危惧して、この計画に反対。ただし、大トリで都が「夫婦坂」を歌い、そのままアンコールに応えてもらうのは問題がなく、自然な流れであると提案した。この鈴木の提案が採用され、スタッフは都にアンコールに応えてもらえるよう交渉を行ったが、都は「夫婦坂」1曲に集中したいとの願いから、この申し出を頑なに拒否。しかし、スタッフは諦めることなく、台本は「夫婦坂」を歌い終わった後の部分を、3分間の空白のページにした(実際、大トリの都が歌い出したのは23:30という紅白の大トリとしては異例の早い時刻だった)。スタッフは「もし都さんが歌えなくても、集まっている出場歌手で合唱とすれば良い演出になるだろう」と踏んでいた。当初鈴木の交渉は、本番直前に行われた「通しリハーサル」で決定されたが、この時点では両軍歌手リーダー(水前寺・北島)とバンド指揮のダン池田に交渉することになっていた。ところが本番になり、鈴木は突如直接都本人に交渉する。なお、「私に1分間時間をください」の「1分間」とは、都に交渉し始めてから「好きになった人」の演奏が始まるまでの時間で、事前に鈴木が計算していた。 今回の出場歌手数を20組に減らしたのは、都の「さよならコーナー」を制作するためとの推測も流れていた。「アンコ椿は恋の花」、第16回(1965年)での初出場時に歌唱した「涙の連絡船」、第27回(1976年)での初紅組トリおよび大トリ担当時に歌唱した「北の宿から」、本紅白直前の12月21日に発表した五木ひろし(都と同期)とのデュエット曲「ふたりのラブ・ソング」などをメドレーで歌唱するのでは噂されたが、実際は「夫婦坂」1曲であった。 都に対抗する白組トリについては、『日本歌謡大賞』と『日本レコード大賞』を受賞した「長良川艶歌」を持つ五木と、『日本作詩大賞』を受賞した「北の螢」を持つ進一による事実上の一騎討ちとなった。最終的に都と五木は同期で親しい間柄だが、ここ数年における都の対抗者が進一(五木の対抗者は八代だった)ということが決め手となって、進一の起用が決定した。 本放送終了後には、都を送るべく出場歌手一同によって「アンコ椿は恋の花」(都は紅白で歌唱歴がなかった)の大合唱も行われた。1994年に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で本紅白が再放送された際、その模様も特典映像として放送された。 都は5年後の第40回(1989年)に出場(「アンコ椿は恋の花」を歌唱)し、これを機に歌手活動を再開させている(同日のみの復帰と発表していたが、翌1990年歌手活動を完全再開。なお、1987年には音楽プロデューサーとして活動再開していた)。本紅白から10年後の第45回(1994年)では今回以来の大トリを務めた(復帰翌年の第41回でも紅組トリの経験あり)。
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