運用終了まで
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1990年代以降、名鉄ではVVVFインバータ制御の通勤車両が増備されるようになり、5500系は主にローカル区間の普通列車に運用されるようになった。 スカーレットに白帯の塗装に変更された5515編成 登場当時のライトピンクとダークマルーンに塗られた5517編成を先頭にした疎開留置中の5500系 その後は大きな動きはなく、特別整備を受けていない7000系や7500系の廃車が先行していたが、2000年9月に発生した東海豪雨により、新川検車区に留置されていた5505編成が浸水する被害にあい、同年12月に廃車となった。続いて2001年(平成13年)10月には竹鼻線の一部廃止に伴い5519編成が廃車、2002年(平成14年)4月から5月にかけては小牧線へ300系が投入されたことに伴い、2両編成の5513編成・5515編成・5517編成を除く計5編成が廃車となった。このとき4両編成が消滅している。 残った3編成は、2003年(平成15年)の夏に「甦る5500系」と称するイベントに合わせて、各編成とも歴代の塗装に復元された。5513編成はストロークリームをベースとして赤い帯が入るデザインに、5515編成はスカーレットに白帯が入るデザインに、5517編成はライトピンクとダークマルーンという塗り分けであった。 その後も、7000系との連結を含む定期運用や団体臨時列車などに運用されていたが、空港線開業に伴うダイヤ改正で運用から外されることになり、ダイヤ改正前日の2005年1月28日に残った3編成が連結された6両編成で犬山線の布袋駅に疎開留置のため回送された。同年2月8日に舞木検査場へ自力回送され、同年2月10日付で全車両が廃車された。 廃車後、モ5517の前頭部分のみが舞木検査場に保存展示されている。
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運用終了まで
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「小田急3000形電車 (初代)」の記事における「運用終了まで」の解説
一方、小田急に残ったSE車も既に車齢25年を超えており、継続使用に反対する社内意見もあり、LSE車によって「あさぎり」に運用されているSE車を置き換える案もあった。しかし、これも当時の国鉄側の現場の反応などを考慮して、仕方なく継続使用することになった。 このため、1984年から3011×5を除く4編成に対して車体修理が行われた。外観上の変化は、側面窓を高さ650mm×幅680mmの固定窓に変更し、連接部の外幌をLSE車と同様のウレタン芯形とした点である。また、屋根上のクーラーキセを強化プラスチック(FRP)製に変更した。室内については、一部の車両について座席表地をLSE車に準じたオレンジとイエローのツートーンとした ほか、化粧板は木目調から皮絞り模様に、天井板は白系のクロス模様に変更された。また、客用扉に電動ロック装置が設置された。 この時に車体修理対象から外れた3011×5については、他の4編成の更新が終了した後は後は運用には入らずに経堂検車区に留置された後、1987年3月27日付で廃車された。この編成は狭軌世界最高速度記録を樹立した車両であったこと から、廃車後もしばらくは海老名検車区で保管されていた が、車両増備に伴う留置線不足などの理由により1989年5月に大野工場で解体され、保存には至らなかった。 残った4編成については、その後「あさぎり」を中心に使用されていたが、1987年に導入されたHiSE車が増備されたため、1989年7月15日からはSE車の定期運用は「あさぎり」だけとなった。 これより少し遡る1988年7月、小田急から東海旅客鉄道(JR東海)に対して、車齢30年を超えたSE車の置き換えを申し入れた。これをきっかけとして両社の間で相互直通運転に関する協議が進められることになった。この中で、2社がそれぞれ新型車両 を導入した上で相互直通運転に変更することとなり、ようやくSE車の置き換えの方向性が見いだされた。 1990年年末にRSE車が入線し、1991年に入ってからは通常の愛称板ではなく「さよなら運転」のタイトルが入った愛称板も用意された。本格的な特急車両が格下げされずに運用から外れるのは小田急では事実上初めての事例であり、多くの鉄道ファンが沿線で撮影する姿が見られた。定期運用最終日である1991年3月15日の「あさぎり8号」は重連運用となり、SE車の定期運用最後の列車となる「あさぎり8号」の到着を見届けるため、新宿駅には多くの鉄道ファンが集まった。 定期運用から離脱した後もしばらくは波動輸送用として残されていたが、1992年3月にさよなら運転が行われた後に全車両が廃車となった。さよなら運転がおこなわれた3月8日は、くしくも同日に新幹線初の大幅モデルチェンジである300系の試乗会もあり、新旧の節目と報じられた。 耐用年数を10年として設計された車両であったが、山本の意志に反して35年弱もの長期間にわたって運用されたのである。
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