蘇生者の言葉
『聴耳草紙』(佐々木喜善)110番「生返った男」 死後2~3日して蘇生した若者が「ここは俺の家でない。俺は某村の某家の者だ」と言う。某家の伜も2~3日前に死に、火葬にしたため、この世に戻れることになっても身体がなく、彼の魂は、土葬された若者の亡骸を借りて蘇生したのだった。若者は某家に引き取られたが、2年ほどして死んだ。
*遺体が火葬されたので、他人の身体を得て蘇生した人→〔火葬〕1a・1b。
『酉陽雑俎』続集巻3-922 開元(713~741)の末、蔡州の百姓・張弘義は、死んでから一晩たって生き返った。彼は父母妻子を「知らない人だ」と言い、「自分は隣村の李簡という者だ」と名のる。李簡は10余日前に冥府に召されたが、間違いであることがわかり、現世へ戻れることになった。しかし彼の身体はいたんでいて使えないので、張弘義の身体を得てよみがえったのである〔*当時、「私(『酉陽雑俎』の著者・段成式)」の三従叔父は蔡州にいて、直接にこの事件を見聞した〕。
*「わたしの父母は、あなた方ではない」と言う赤ん坊→〔赤ん坊〕2d。
『歌占』(能) 伊勢の神職渡会の家次は、諸国一見の旅の途中、頓死して3日後に蘇生した。彼はまだ若かったが、その時から総白髪になってしまった。彼は歌占いをする男巫となり、不思議な縁で巡り合った息子に、剣樹地獄・石割地獄・火盆地獄など、さまざまな地獄の苦のありさまを、曲舞(くせまい)で見せた→〔歌〕11。
『江談抄』第3-33 公忠の弁は、頓死して3日後に蘇生した。彼は参内して醍醐帝に謁し、閻魔の庁で帝への批判の語を聞いた、と語った。
『国家』(プラトン)第10巻 戦死したエルの死体は、いつまでも腐敗しなかった。死後12日目に火葬の薪の上に横たえられていた時、エルは生き返り、あの世で見てきたさまざまなことを語った→〔冥界の穴〕1。
『捜神記』巻6-45(通巻146話) 漢の元始元年(A.D.1)、趙春という娘が病死して7日後に棺から出て来て、「亡父に会い、お前の寿命は27歳だ、まだ死ぬ時期ではない、と言われた」と語った。
『捜神記』巻15-4(通巻362話) 李娥は60歳で死に、14日後に蘇生した。冥府へ行ったが人違いであるとわかってすぐ帰されることになり、途中、従兄の伯文から現世の息子への手紙を預かって来た、と彼女は語った。
『日本霊異記』上-5 〔第33代〕推古天皇33年(A.D.625)、大部屋栖野古(おほとものやすのこ)は死んだが、遺体から良い香りがし、死後3日して蘇生した。彼は妻子に語った。「5色の雲が虹の橋のように北へかかっていた。雲の果てに黄金の山があり、聖徳太子が立っておられた。私は太子から未来の予言を聞いた」。大部屋栖野古は蘇生後、長寿を保ち90余歳に達した。
『日本霊異記』中-5 摂津国の富者が死んで9日後に蘇生し、閻羅王宮で、生前に殺した7頭の牛に責められたが、かつて放生した1千万余の生き物が護ってくれた、と語った〔*『今昔物語集』巻20-15に類話〕。
『日本霊異記』中-7 行基を妬み謗った僧智光は、死んで地獄に落ち、鉄や銅の熱柱を抱かせられ身体を焼かれた。彼は9日後に蘇生して、地獄での体験を述べ、行基に懺悔した〔*『今昔物語集』巻11-2の異伝では、10日を経て蘇生する〕。
『日本霊異記』中-16 讃岐の富者綾君の召使いは、死後7日たって蘇生し、冥界で一本角の獄卒に斬られそうになったが、生前に放生した牡蠣10個の化身である僧俗10人に護られた、と語った〔*『今昔物語集』巻20-17に類話〕。
『日本霊異記』中-19 利苅の優婆夷は就寝中に頓死し、閻羅王宮へ行った。閻羅王が、彼女の般若心経読誦を聞くために呼んだのだった。読誦を聞いて王は随喜し、3日過ぎて現世に帰してくれた〔*『今昔物語集』巻14-31に類話〕。
『日本霊異記』下-35 肥前国の人、火君は頓死して冥界へ行くが、まだ死ぬ時期ではなかったので帰される。帰路、地獄の釜で煮られる遠江国の物部古丸が、我がために法華経を書写せよと訴える。火君は蘇生後、このことを太宰府に報告する。
『日本霊異記』下-37 平城京の人が筑前へ下り、病を得て死ぬ。彼は閻羅王宮へ行き、従四位上佐伯宿禰伊太知が生前の罪により打たれて苦しむ声を聞く。平城京の人は、蘇生して後、このことを太宰府に報告する。
『パンタグリュエル物語』第二之書(ラブレー)第30章 戦死したエピステモンを、パニュルジュが蘇生させる。エピステモンは、「冥府で悪魔や堕天使リュシフェルに会った」と言い、「冥府では、アレクサンデルやクセルクセスなどの王は、みじめな賤しい生活をしていた。ディオゲネスやエピクテトスなどの哲人は、大した身分の旦那方になっていた」と語った。
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