転生と天皇
『今鏡』「すべらぎの中」第2「八重の潮路」 崇徳院は八重の潮路を分けて遠い讃岐の国へおいでになり、その地で亡くなられて、白峯に葬られた。ある人が夢で、「昔、『白峯の聖』という阿闍梨がいて、讃岐の国へ流された。その人の生まれ変わりが崇徳院だ」と知らされた。
『古事談』巻2-51 清和天皇は前世で僧だった。この僧は、伴善男に妨げられて、望みの地位を得られなかった。僧は怒って死に、『法華経』読誦の功で清和天皇に転生した。清和天皇は少年の頃から伴善男を憎み、天皇17歳の時、応天門の変が起こって、伴善男は失脚した。
『日本霊異記』下-39 寂仙禅師は天平宝字2年(758)に没したが、臨終の日に、「自分は28年後に桓武天皇の皇子として再誕し、名を神野親王というであろう」と記した文書を、弟子に与えた。予告どおり28年後の延暦5年(786)、桓武天皇に皇子が生まれ、神野親王と名づけられた。神野親王は、やがて即位して嵯峨天皇となった。
『増鏡』第4「三神山」 四条天皇が幼少の頃、ある人が「前世はどのような人でいらっしゃいましたか?」と問うと、天皇は、泉湧寺の開山の聖「俊ジョウ」の名を仰せられた。四条天皇は数え年12歳で崩御されたが、その後、ある人の夢に俊ジョウが現れ、「自分は早く成仏すべきところ、妄念を起こして、人間界に天皇として生まれたのだ」と告げた〔*「シュンジョウ」から「シジョウ」へ、類似した名前で転生したのである〕。
『日本霊異記』上-5 用明天皇の皇子・聖徳太子は、〔第33代〕推古天皇29年(A.D.621)に没した。それから4年後、大部屋栖野古(おほとものやすのこ)が死んで、冥界の聖徳太子と会った(*→〔蘇生者の言葉〕2)。聖徳太子は「私はやがて宮へ還り、仏像を造り奉るであろう」と、大部屋栖野古に語った。これは、聖徳太子が聖武天皇として再誕し、東大寺や大仏を造ることを意味するのであった。
『平家物語』巻11「剣」 安徳天皇の前世は、ヤマタノヲロチである。かつてスサノヲがヤマタノヲロチの尾から見つけ出した草薙の剣は、アマテラスの子々孫々に伝えられ、ヤマトタケルが東征の折にこの剣で草を薙ぎ払い火攻めの難を逃れる、などのことがあった。草薙の剣は熱田社に納められ、後、内裏に置かれ、ついに壇の浦の合戦で安徳天皇とともに海に没した。これはヤマタノヲロチが、人王80代、8歳の安徳天皇に生まれ変わり、この霊剣を取り返して海底に沈んだのである〔*現在の数え方では、安徳天皇は第81代〕。
★4.大蛇が転生して天皇になるのとは逆に、天皇が転生して大龍になる。
『発心集』巻6-3 蔵人所に勤める身分低い男が、堀河院の崩御を深く悲しみ、「故院の転生先を教え給え」と、諸々の仏や神に祈った。何年か経て、「堀河院は西の海で大龍になっておられる」との夢を見たので、男は喜び、筑紫から舟で海へ漕ぎ出して行方知れずになった。何事も志(こころざし)次第であるから、きっと男は転生して堀河院に巡り会い、お仕えしていることだろう。
*龍が転生してお釈迦様になる→〔龍〕11の『手紙 一』(宮沢賢治)。
*天皇が転生して、行者になり、女房になり、小舎人になり、再び天皇になる→〔髑髏〕3bの『三つの髑髏』(澁澤龍彦『唐草物語』)。
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