菊川
茶の里の親しみ憩う菊川
(注:この情報は2008年2月現在のものです)
菊川は、静岡県金谷町と掛川市の境にある粟ヶ岳にその源を発し、菊川町、小笠町の低平地を支川を集めながら流れ、大東町地先で牛渕川と合流後、遠州灘に注いでいる流域面積158km2、幹川流路延長28kmの河川です。 |
遠州灘に注ぐ菊川 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.菊川の歴史 |
"菊川は、周りを丘に囲まれ川幅が狭隘な箇所が多いこともあり、しばしば発生する洪水による被害は流域全体におよび、沿川農民が飢餓に苦しむことが頻繁にありました。そこで、明治の大水害を契機に地域住民は大正10年に全国に先駆けて菊川改修期成同盟会を結成しました。" |
菊川は、その源を金谷町粟ヶ岳の東山麓に発し、下前田川、西方川、上小笠川、佐束川、下小笠川を合流し、さらに下流部において丹野川、黒沢川、高橋川を集める牛淵川と合流し遠州灘に注ぐ、流域面積158km2、幹川流路延長28kmの一級河川です。 流域は、東に牧の原の丘陵と粟ヶ岳、西に小笠山などの小連峰に挟まれた肥沃な土地ですが、海岸付近にも丘陵が横たわり、菊川は海に通じるわずかな低地より海に注いでおり、沿川の土地は周りを高い丘に囲まれる盆地となっています。 丘陵地には茶園、低平地には水田、ハウス栽培等の農業生産が盛んで、また、東名高速道路、一般国道150号、新幹線、東海道本線などの重要な交通網の整備とともに、工場の進出も進んでいます。 かつての菊川は、低平な流域の中を自由に蛇行を繰り返し、川幅の狭隘な箇所が多く、河川の蛇行と相まって河川水の排除を妨げ、しばしば洪水による被害が発生していました。 洪水による被害は、流域全体に及ぶ事が常で、沿川農民が精魂込めた耕作地も収穫が皆無の惨状となり、飢餓に苦しむこともたびたびでした。明治時代以前にも河川改修は実施されてきたようですが、部分的な改修であり大きな被害軽減を図る事はできませんでした。 明治40年、43年の大水害が発生したことを契機に、地域住民は明治44年に牛淵川水害予防組合、大正6年に菊川水害予防組合を結成し、大正10年には全国に先駆けて菊川改修期成同盟会を結成しました。それ以降、流域住民は一致団結して菊川の早期改修を要望し、昭和8年、内務省直轄工事による菊川の改修が着手され、蛇行をショートカットする捷水路の建設や狭隘な川幅を広げる引堤などの事業が進められてきました。
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2.地域の中の菊川 |
"菊川は、堤防を通学路や散策に利用されている他、河口部では魚釣りや水辺の利用が行われているなど、身近な川として親しまれています。また、河口部の静水域ではボートなどによる水面利用も盛んで、平成4年には大東マリーナが建設されています。" |
菊川の河川敷は、茶園の敷草の採草地として利用され、堤防は通学路、散策等に利用されています。また、釣り場としても河口部、佐束川、牛淵川など各地で魚釣りが行われており、身近な川として親しまれています。 上流や支川では沿川に桜の植栽が進められ、散策や花見に親しまれ、河口部では静水域が広がり、平成4年には大東マリーナが建設された事もあり、ボートなどの水面利用が盛んです。 また、河口部には、菊川河口を横断し、遠州灘の荒波、白砂青松の浜を背景に、浜名湖、御前崎へと結ばれている太平洋自転車道が整備されています。
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3.菊川の自然環境 |
"菊川の流域は、植林や茶園としての利用が進んでいますが、河口部などは御前崎遠州灘県立自然公園に指定されており、海岸砂丘などの優れた自然環境が見られます。上流部にはアカザが生息し、河口部は発達したヨシ原に多数の鳥類が見られます。" |
流域は、植林や茶園としての利用が進んでおり、自然植生は小笠山などの丘陵地の一部に照葉樹林が残されている状況ですが、河口部をはじめ丹野池、横地城址等が御前崎遠州灘県立自然公園に指定されており、海岸砂丘、保安林のマツ林や照葉樹林等の優れた自然景観が見られます。 上流部では、発達した州にツルヨシ、ヨシなどの植生がみられ、オイカワ、カマツカ、ギンブナなどが生息し、アカザも生息が確認されています。
中流部では、ススキ、カヤ、ヨシなどの植生が広がり、比較的安定的な州が散在して見られ、ツルヨシ、ミゾソバなどの水生植物が繁茂しています。貴重種としてミゾコウジュ、カワヂシャが確認され貴重な環境が残っています。魚類は、床止めや農業用の取水堰が数多く存在することから、コイ、フナ、ナマズ、オイカワ等が主に生息しています。
河口部はヨシ原が発達し、シギ、チドリ等、多種の鳥類が見られ、クロダイ、キス等の海の魚類も多く見られます。
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4.菊川の主な災害 |
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
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