芸術家のパトロンとして
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「マーガレット・オブ・ヨーク」の記事における「芸術家のパトロンとして」の解説
イングランドで新たに英語での印刷・出版技術を導入したウィリアム・キャクストンはヨーク派支持者であり、マーガレットは彼のパトロンの1人だった。 キャクストンは、マーガレットの結婚式以来、マーガレットに使える財政顧問としてブルゴーニュとイングランドを媒介し、政治家と商人の間で助言を行っていた。そして、翻訳及び印刷・出版という新技術によるビジネスにも取り組んだ。 彼の最初の英語での印刷物である『トロイ物語集成(英語版)』(仏:Recueil des Histoires de Troye、英:Recuyell of the Historyes of Troye)は、元々はネーデルランドにおいて、ブルゴーニュ公がヘラクレスの子孫と信じられていた背景もあり、人気を集めていた書物であった。キャクストンはこれを1474年末から1475年初頭頃に英訳を、新たなメディアとして出版した。キャクストンは翌1476年以降、イングランドに帰国し、騎士道文化及び文学作品の印刷・普及に多大な影響を与えた。 キャクストンがマーガレットに献上するために特別に作った彫版による複製が今も残されており、カリフォルニアのハンティントン図書館に保管されている。マーガレットによって注文された多くの素晴らしい原稿のうち、最高のものはシモン・マルミオンに装丁を飾られた「トンダルのヴィジョン」とされ、複写がJ・ポール・ゲティ美術館で公開された。
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芸術家のパトロンとして
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「アレッサンドロ・ファルネーゼ (枢機卿)」の記事における「芸術家のパトロンとして」の解説
1542年頃からティツィアーノ・ヴェチェッリオに接触して1545年から1546年まで短期間ローマに滞在させ、1546年に祖父とアレッサンドロ、弟オッターヴィオを描かせた『パウロ3世とその孫たち』が制作された。しかしティツィアーノをヴェネツィアからローマへ招聘するために報酬の約束先延ばし策を使い、ティツィアーノが息子ポンポーニオへ与えるための聖職禄を望んでいることにつけこみ、修道院領提供を約束してティツィアーノに期待させ履行を先延ばし、結果としてティツィアーノを騙した形で肖像画を受け取った。1546年6月に聖職禄を諦めたティツィアーノはローマを去り、以後2度とローマを再訪することは無かった。 ヴィニョーラとは彼がボローニャでサン・ペトロニオ聖堂(英語版)建設工事に従事していた時期(1543年 - 1550年)から目を付け、1559年からカプラローラのファルネーゼ宮殿の建設を任せた。同時期にカプラローラの再開発にも取り掛かり、町のメインストリートの突き当りに宮殿を配置、宮殿から町を見渡せる都市計画も進めた。1568年からはジェズ教会設計もヴィニョーラに任せ、彼が亡くなる1573年まで庇護し続け、ヴィニョーラも1562年出版の著書『建築の五つのオーダー』の献辞をアレッサンドロへ送っている。ただし、ヴィニョーラの死後アレッサンドロはジェズ教会を別の建築家ジャコモ・デッラ・ポルタに設計させ、ヴィニョーラの設計案を変更している(理由は不明)。 建築・工芸に強い関心を寄せる一方で絵画に無関心だとされ、エル・グレコには美術顧問ジュリオ・クローヴィオ(英語版)の仲介で1570年から宮殿の寄寓を許したほかは1572年に解雇した以外に詳しいことは分かっていない。解雇理由も不明で1572年7月にエル・グレコはアレッサンドロへ送った手紙で解雇理由に心当たりが無いことと撤回を訴えているが、受け入れられなかったため9月にローマ画家組合に入会してアレッサンドロから離れていった。一方、1574年に彫刻家グリエルモ・デッラ・ポルタ(英語版)に祖父の墓廟を制作させたが、『正義』と題した女性の裸体彫像が検閲に引っ掛かることを恐れ、一時彫像を衣で覆うかどうかポルタと検討したが、教皇グレゴリウス13世に墓廟を気に入られたため杞憂に終わったというエピソードも残っている。
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