芸術家としての武蔵とは? わかりやすく解説

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芸術家としての武蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:15 UTC 版)

宮本武蔵」の記事における「芸術家としての武蔵」の解説

武蔵没後21年後の寛文6年1666年)に書かれた『海上物語』に武蔵絵を描く話が既に記されている。また『武公伝』には、「武公平居閑静して(中略連歌或は書画小細工等を仕て日月を過了す故に武公作の鞍楊弓木刀連歌書画数多あり」と書かれている。 現在残る作品大部分晩年の作と考えられ熊本での作品は、細川家家老八代城であった松井家晩年武蔵世話をした寺尾求馬助信行寺尾家を中心に残されたもの所有者変えながら現在まで伝えられている。 水墨画については「二天」の号を用いたものが多い。筆致画風や画印、署名等で真贋対す研究なされているが明確な結論出されていない主要な画として、『図』『正面達磨図』『面壁達磨図』『捫腹布袋図』『雁図』(以上は「永青文庫)、『芦葉達磨図』『野馬図』(以上は松井文庫蔵)、『枯木鳴鵙図』(和泉市久保惣記念美術館)、『周茂叔図』『遊図』『布袋図』(以上は岡山県立美術館)、『布袋闘鶏図』(福岡市美術館)などがある。 書としては、『長岡興長宛書状』(八代市立博物館)、『有馬直純宛書状』(吉川英治記念館)、『独行道』(熊本県立美術館)、『戦気』(松井文庫蔵)が真作認められている。 伝来確かな武蔵作の工芸品としては、黒漆塗の「鞍」、舟島での戦い用いた木刀模したとされる木刀一振二天一流稽古用の大小一組の「木刀」が松井家残されている。また、武蔵とされる海鼠透鐔(つば)が島田美術館等にいくつか残されているが、武蔵佩刀伯耆安綱に付けられていたとされる寺尾家に伝来していた素銅製の「海鼠透鐔」(個人)が熊本県文化財指定されている。 雁図

※この「芸術家としての武蔵」の解説は、「宮本武蔵」の解説の一部です。
「芸術家としての武蔵」を含む「宮本武蔵」の記事については、「宮本武蔵」の概要を参照ください。

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