芸術家および恋愛の主題とは? わかりやすく解説

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芸術家および恋愛の主題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 21:10 UTC 版)

夜長姫と耳男」の記事における「芸術家および恋愛の主題」の解説

夜長姫と耳男研究史には、この作品安吾評論文学ふるさと』(1941年)と結びつけたうえで、「芸術家覚悟」の主題を見るという一連の流れがある。『文学ふるさと』では、ペロー版『赤ずきん』(赤ずきん食べられたままで終わってしまう)ような救いのない結末物語について考察され、その「救ひ」のない「突き放された」読後の「ぷつんとちよん切られ空しい余白」に、「文学ふるさと」を見出すという文学論で、そこで安吾主張するモラルがない、といふこと自体が、モラルなのだ」という「生存それ自体孕んでゐる絶対孤独」の文学観は、しばしば『堕落論』『桜の森の満開の下』など他の文学作品とも通底するテーマとして結び付けられ論じられることが多く、「文学ふるさと」は安吾文学を解く重要なキーワードである。 『夜長姫と耳男』も例外ではなく例え由良君美は、江奈古による耳男の耳の切除を「象徴的去勢」、彼女の自殺を、彼女に転位された耳男母体回帰願望超克とするなどの精神分析解釈施しながら、耳男仕事過程を「芸術による自己超越」に向かう道と読み解き、また耳男が姫を刺す直前に見る〈キレイな青空〉の底知れぬ青さを、その自己超越営み目指すもの位置づけたうえで、この空が安吾の言う「文学ふるさと」と同義であるとしている。高法子は、安吾の「ふるさと」が「母性によって満たされる世界から自己突き放し人間関係剥奪したところに始まる」ものとし、姫を刺し殺すまでの過程を「酷薄なる虚空の美を獲得してゆく男の過程」であるとした。 こうした芸術家主題の他(あるいはそれと併せて)、安吾女性観恋愛観反映恋愛主題を見る向きもある。奥野健男は、〈好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ〉という姫の最期の言葉を「安吾芸術観であり、恋愛観でもあろう」とし、この言葉をもって安吾は、過去恋愛関係にあった矢田津世子へのイメージと愛を「完璧に芸術化」し得たのだとしている。角田旅人は、耳男江奈古へ態度秘められた愛情見て取り本作江奈古と夜長姫という「二人の女人に、互いに許すことのできない愛を(自分ではついに気づくことのないままに)抱いた男の悲劇」と読み解いている。『夜長姫と耳男』に恋愛観芸術観という二つ流れを見る石川正人は、「姫の笑顔」に押し流されまいとし化け物の像を彫る耳男に「芸術という力を借りて恋愛という得体の知れないものを克服しようとする男の姿」を見て取る。そして「好きな物は咒うか殺すか争うかしなければならない」という姫の最期の言葉受け取れば耳男は姫を殺した同時に恋愛という目的達成したことになるとしている。

※この「芸術家および恋愛の主題」の解説は、「夜長姫と耳男」の解説の一部です。
「芸術家および恋愛の主題」を含む「夜長姫と耳男」の記事については、「夜長姫と耳男」の概要を参照ください。

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