芸術学生の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:38 UTC 版)
「アレクサンダー・カルダー」の記事における「芸術学生の時代」の解説
芸術家になることを決めたカルダーは、1923年10月ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに入学して素描のクラスに入り、ジョン・スローンやジョージ・ルークス、ボードマン・ロビンソンといったニューヨークの実績ある画家たちのもとで学んだ。学生の間、彼はタブロイド新聞社でスポーツなどの記事の挿絵の仕事をしていたが、そのときに取材に行ったサーカスにすっかり魅了され、サーカスを描いた無数のスケッチや、サーカスの動物や芸人を題材にして針金を巻いて一筆書きのようにした彫刻を作った。 卒業後、彼は1926年にパリに移りアカデミー・ド・ラ・グラン・ショーミエールで芸術の勉強を続けた。この時生活のために、機械工学の経験を使い、針金や木を用いて機械仕掛けの玩具作りをはじめたことをきっかけに、針金による彫刻に本格的に取り組むことになる。また彼はフランスに針金のサーカス人形を携えて来ていたが、これも玩具の経験を通してより精密なものになり、針金彫刻を巧みに操って即興的に上演する本物のサーカスに近いパフォーマンスへと作り直した。すぐに、『カルダーのサーカス(Cirque Calder)』はジャン・コクトーを熱狂させたことをきっかけに、パリの前衛芸術家たちの間で有名になり、カルダーはスーツケースに詰めたサーカスを取り出して2時間にわたって上演するショーで入場料を稼いでいた。
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