花郎の軍事的性質に対する異論とは? わかりやすく解説

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花郎の軍事的性質に対する異論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:45 UTC 版)

花郎」の記事における「花郎の軍事的性質に対する異論」の解説

韓国では、第二次世界大戦の後ナショナリズム迎合し花郎讃美大々的行われ花郎軍事組織説が定着している。 軍事説は、7世紀中頃までの数人花郎事績誤った一般化により生まれた実際には、記録残る花郎の大半軍事とは無関係である。数人例外的な武人花郎についても、その活動と、彼等花郎ないしは花郎という属性との間に明白な関係は見つけられない戦時勇猛さ自己犠牲精神花郎限定すべき理由はない。実際武人花郎出典たる『三国史記』の列伝は、花郎であったことが確認されない多く勇士記録している。よって、ごく一部花郎7世紀統一戦争期の新羅一時的な風潮影響されに過ぎないと見るのが合理的である。 『三国史記』が花郎簡潔に紹介する新羅本紀真興王37年 (576年) のの中で、軍事との関係うかがわせるのは、「賢佐忠臣、従此而秀。良将勇卒、由是而生。」という『花郎世記』から引用され簡単な記述だけである。史料の性格上、『三国史記』が『三国遺事』よりも軍事について詳細に記述することを期待されるにもかかわらずである。しかも「ここから生まれた(由是而生)」という表現は、逆説的に花郎自体良将や勇卒のなかから選抜された者、という性質組織ではなかったことを示唆する事実花郎および花郎頂点とする花郎徒たちは、それ自体が軍の一翼を担うものでもなければ独立した軍事組織でもなかった。記録に残る最初花郎斯多含は、渋る王に従軍願い出て武官地位与えられ出陣した斯多含の例は、花郎通常軍に所属しておらず、花郎の軍への編入がむしろ例外的であったことをうかがわせるまた、斯多含が『三国史記列伝収められたのは戦功挙げたからではなく捕虜対す寛大な扱い賞賛されたからである。その証拠に、この戦いは、司令官異斯夫伝記では言及されていない新羅随一英雄で、おそらく花郎軍事組織説の確立に最も貢献している金庾信(『三国史記金庾信列伝によると、金庾信中国黄帝の子少昊の子孫である)については、軍を指揮したことが確認できるのは彼が34歳の時である。金庾信その時点で既に花郎ではなかったと推測されるため、彼のその後軍事的活躍花郎一般化することはできないまた、金庾信剣術修めたことを拡大解釈して、剣術花郎心得であると主張する者がいる。しかし、逆にこの記述剣術花郎の間では一般的でなかったことを示唆するまた、金庾信修行呪術的で、一般的に想像される剣術修行とは大きく異なる。結局のところ、花郎軍事教練行ったこと記す史料存在しない世俗五戒花郎の掟であったという主張にも根拠が無い。世俗五戒は、中国帰り法師円光が貴山と箒項という二人若者授けた教え、「事君以忠・事親以孝・交友以信臨戦無退・殺生有擇」である。世俗五戒四番目が「臨戦無退」であり、軍事組織説には都合がよい。しかし、貴山と箒項が花郎であったという記録はなく、世俗五戒花郎結びつける記述存在しない花郎軍事組織説が広まったのは、実は第二次世界大戦後である。李朝時代には花郎史家注目を浴びることは無く言及され場合でも焦点歌舞あてられ軍事的要素欠落していた。20世紀に入ると、申采浩花郎武士団として賞賛したが、あくまで高句麗讃美添え物にすぎなかった。1930年代日本の歴史家、池内宏鮎貝房之進三品彰英三人集中的に花郎研究し多かれ少なかれ花郎軍事的性格認めた。しかし、彼等研究政治的に利用されることはなかった。 韓国における状況変化したのは、李承晩大統領指示のもとで大々的宣伝が行われてからである。1949年瑄根によって発表された『花郎研究』の中で、愛国心かき立てる後世数々出来事花郎精神発露とされた。国民国家形成のために花郎精神なるものが創造され報国精神として喧伝された。花郎政治利用は、新羅故地慶尚道出身朴正煕政権下に引き継がれた。その結果花郎武士団だったという神話韓国ではすっかり定着した。「花郎部隊」は韓国陸軍精鋭であり、「花郎台」は韓国陸軍士官学校別称となり、韓国武功勲章4等級は「花郎武功勲章」と名づけられた。 皮肉なことに尚武精神評価されるようになったのは、朝鮮日本支配受けた結果である。極端な蔑視支配的だった李朝時代には考えられないことである。「花郎精神」はある意味日本統治下宣伝され武士道精神代替であるにもかかわらず韓国では逆に日本武士の原型新羅花郎」などとまことしやかに語られている。 花郎神話には韓国武道団体飛びつき、その起源一つ主張するようになったITF国際テコンドー連盟)は、花郎を型(トゥル)の名前としている。「花郎道」という名の武道団体は、それが新羅花郎によって実践されたと主張するが、実際にハプキドー合気道)の亜種である。こうした動きは、逆に彼等主張現代の創作であることを証明している。 なお、「花郎道」なる用語は史料には登場しない。「武士道」との類推から作られと見られる朝鮮語同音の「花郎徒」であれば歴史学用語として許容可能である。

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