自治体の変遷
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1889年4月1日 - 町村制施行により、遠賀郡洞南村が発足。 1904年7月1日 - 折尾村に村名を改称。 1918年12月3日 - 折尾村が町制施行。折尾町となる。 1944年12月8日 - 折尾町が八幡市に編入される。 1963年2月10日 - 北九州市発足により、北九州市八幡区の一部となる。 1974年4月1日 - 八幡区が八幡東区と八幡西区に分区され、北九州市八幡西区となる。
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自治体の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:09 UTC 版)
明治5年5月 - 上飯羽間村、中飯羽間村、下飯羽間村、根上村が合併し飯羽間村となる。 8月 - 上村、島村、飯田洞村、小笹原村、横道村、木實村が合併し上村となる。 明治7年(1874年)9月馬木村・馬坂村・高波村・峰山村・小杉村・落倉村・澤中村が合併して東方村となる。(75村) 日比野村が改称して苗木村となる。 明治8年(1875年)1月 - 以下の各村の統合が行われる。(63村)大泉村 ← 小泉村、大船村 大田村 ← 上田村、田良子村、大栗村 杉野村 ← 門野村、杉平村 浅谷村 ← 浅谷村、須淵村 野原村 ← 一色村、野原村 横通村 ← 颪村、柏尾村、岩竹村、安主村、土助村、才坂村 瀬戸村 ← 上地村、瀬戸村 明治12年(1879年)2月18日 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての恵那郡が発足。郡役所が大井村に設置。同日大区小区制廃止。 明治14年(1881年) - 郡役所が中津川村に移転。
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自治体の変遷
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1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、上和白・下和白・三苫・奈多・塩浜各村を大字に改変した糟屋郡和白村が発足。 1954年(昭和29年)11月1日 和白村が町制施行し和白町となる。 1960年(昭和35年)8月27日 和白町が福岡市に編入されて消滅する。 1972年(昭和47年)4月1日 福岡市が政令指定都市へ移行したことに伴い、東区の一地域となる。
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自治体の変遷
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1896年4月1日:御笠郡・席田郡・那珂郡を統合し筑紫郡が発足。春日村・大野村・太宰府町・水城村・二日市町・山口村・筑紫村・御笠村・山家村・安徳村・岩戸村・南畑村 1950年10月1日:大野村が町制施行-大野町 1953年1月1日:春日村が町制施行-春日町 1955年3月1日二日市町・山口村・筑紫村・御笠村・山家村が合併-筑紫野町 太宰府町・水城村が合併- 太宰府町 1956年4月1日:安徳村・岩戸村・南畑村が合併-那珂川町 1972年4月1日筑紫野町が市制施行-筑紫野市 春日町が市制施行-春日市 大野町が市制施行、即日改称-大野城市 1982年4月1日:太宰府町が市制施行-太宰府市 2018年10月1日:那珂川町が市制施行-那珂川市。同日筑紫郡消滅。
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自治体の変遷
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明治 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、宇治郡安朱村、上野村、御陵村、日岡村、厨子奥村、竹鼻村、四宮村、髭茶屋町、八軒町、小山村、音羽村、大塚村、西野村、東野村、北花山村、大宅村、椥辻村、上花山村、川田村、勧修寺村、西野山村、栗栖野村、小野村が合併して宇治郡山科村が成立。 大正 1926年(大正15年)10月16日 - 山科村が町制施行し山科町となる。 昭和 1931年(昭和6年)4月1日 - 宇治郡山科町が京都市に編入。東山区の一部となる。 1951年(昭和26年)6月 - 東山区役所山科支所が発足。 1976年(昭和51年)10月1日 - 東山区から旧山科町が分区され山科区となる。
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自治体の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:23 UTC 版)
糟屋郡旧香椎村・香椎町に関しては以下の通り。 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、香椎・濱男・唐原・下原各村をそれぞれ大字へと改編した糟屋郡香椎村が発足する。人口1,850人。 1943年(昭和18年)2月11日 - 町制施行し香椎町となる。人口4,180人。 1955年(昭和30年)2月1日 - 香椎町が福岡市に編入され消滅する。編入人口10,944人。 1972年(昭和47年)4月1日 - 福岡市が政令指定都市へ移行したことに伴い、東区の一地域となる。 1977年(昭和52年) - 福岡市総合計画(第4次)において、東部副都心に位置づけられる。 旧多々良村・多々良町に属する地域に関しては多々良町を参照のこと。
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自治体の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 01:21 UTC 版)
1889年(明治22年)以後には日本各地に町村制が施行されており、1908年(明治41年)には日本各地の島嶼地域に島嶼町村制が施行されているが、隠岐諸島には島嶼町村制以前の1904年(明治37年)5月1日に「島根県隠岐国ニ於ケル町村ノ制度ニ関スル件」が施行されている。これにより1904年には島前に4村が、島後に1町7村が設置された。現在は島前に西ノ島町・海士町・知夫村の2町1村があり、島後は全域が隠岐の島町となっている。海士町・知夫村は1904年から自治体域に変化がない。 島前地域の自治体の変遷地域1904年-1946年1946年-1957年1957年-1969年1969年-現在島前 浦郷村 1946年11月3日町制施行 浦郷町 1957年2月11日合併 西ノ島町 西ノ島町 黒木村 黒木村 海士村 海士村 海士村 1969年1月1日町制施行 海士町 知夫村 知夫村 知夫村 知夫村 島後地域の自治体の変遷地域1904年-1954年1954年-1960年1960年-2004年2004年-現在島後 西郷町 1954年7月1日合併 西郷町 1960年11月1日合併 西郷町 2004年10月1日合併 隠岐の島町 東郷村 中条村 磯村 中村 中村 布施村 布施村 布施村 都万村 都万村 都万村 五箇村 五箇村 五箇村 隠岐の島町役場 西ノ島町役場 海士町役場 知夫村役場
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