自治体の対策事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:36 UTC 版)
「丹後町の離村・廃村」の記事における「自治体の対策事業」の解説
京都府は、住民の去った集落が不動産資本での買い占めや荒廃に至らないよう、1968年(昭和43年)度から全戸が離村した集落の農地・山林原野・立木を離村者の希望に応じて買い取り、離村した人々が将来的に帰村した時にはこれを買い戻せる保障を残す「離村跡地買い上げ事業」を実施した。1972年(昭和47年)までに4集落の307ヘクタールの土地と木が府によって買い上げられ、桐林や竹林の造成試験、肉用牛増殖牧場経営実験などが行われた。買い上げた土地を農地法で保護することで試験研究以外の目的に転用することを禁じたこの事業は、資源の保全と離村者の離村体験の援助の両面から全国的にも注目されたが、結果的に離村を促進する消極的な過疎対策という印象を脱却することはできず、4年間で事実上打ち切りとなった。 これに替わる積極的な対策として、時を置かず京都府が打ち出した方策が、離村・廃村の著しい丹後半島の尾根づたいに、南北の市町村境界線に沿って丹後縦貫林道を建設する計画である。延長46.4キロメートル、幅4メートル、総工費25.5億円で計画された林道は、もっとも交通条件の悪かった地域に背後の山側から幹線道路を通すことで、抜本的に過疎地域の交通の便を改善し一帯の住民の離村を食い止めるとともに、林業の振興や農業・観光のための土地利用をねらったものであった。 この建設工事は1969年(昭和44年)にはじまり、1980年(昭和50年)に完成をみた。しかし道路の改修により家財の運び出しが容易になったことから、かえって離村を早める結果となった地域もあった。離村・廃村の勢いは丹後縦貫林道の計画発表と同時期に強まり、工事の進行とともに激しさを増していったといわれている。
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