第二次大戦後:1940-50年代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第二次大戦後:1940-50年代の意味・解説 

第二次大戦後:1940-50年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 01:56 UTC 版)

電子音楽」の記事における「第二次大戦後:1940-50年代」の解説

第二次世界大戦後数年間、電子音楽進歩的な作曲家によって作曲され従来楽器表現超越する方法実現するものとして迎えられた。 現代的な電子音楽作曲フランスで1948年レコード用いたミュージック・コンクレート作曲から始まった。これは町の中の音など具体音を録音しレコード編集するのである。したがって最初ミュージック・コンクレート作品は、フランスでピエール・シェフェールピエール・アンリによってレコード切断して作られた。その他アメリカではフランスから渡ったエドガー・ヴァレーズなどがミュージック・コンクレートなどより編集しやすいテープ音楽製作している(デイヴィット・メイゾンとエアハルト・カルコシュカからの出典)。 一方で電気的に生成された音による電子音楽(この場合電子音楽という言葉狭義で、具体音を使うミュージック・コンクレートに対して電子音のみの音楽という意味で使われる)が、ドイツケルンにある西ドイツ放送 (WDR)の電子音楽スタジオでテープ使って生まれた。こちらの分野ではカールハインツ・シュトックハウゼンやゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒ(ドイツ語版)が最初期から活躍しシュトックハウゼンの「少年の歌」・「コンタクテ」などの傑作生まれた。コンタクテの器楽合奏バージョンでは、早くもテープ器楽生演奏とを組み合わせている点が注目される。)。シュトック・ハウゼンは「群の音楽」や「モメント形式」などの新し概念次々と考案し、「グルッペン」も作曲して第二次世界大戦後前衛音楽時代において、フランスピエール・ブーレーズイタリアルイジ・ノーノと共にミュージック・セリエル主導的な役割担った60年代後半以降確定的な記譜法離れ自身過去作品出発点としてそれを次々と変容してゆく「プロツェッシオーン」や短波ラジオ受信した音形を変容してゆく「クルツヴェレン」などを作曲更には演奏方向性テキストの形で提示された「直観音楽」を提唱するアロイス・コンタルスキーやヨハネス・フリッチェらの演奏家アンサンブル結成し、これらの音楽演奏した。少し遅れてハンガリーから亡命したジェルジ・リゲティ参加し初期管弦楽曲「アパリシオン」や「アトモスフェール」、「ロンターノ」の作曲技法大きな指針となったイタリア国放送RAIの電子音楽スタジオでは、ルチアーノ・ベリオ(「ジョイスへのオマージュ」「ヴィザージュ」)、ブルーノ・マデルナなどが活躍した当時ドナウエッシンゲン現代音楽祭ではフランス人レコードを、ドイツ人テープそれぞれ持参して自作発表した。この少し後、ポーランドクラクフクシシュトフ・ペンデレツキらは独自に電子音楽研究し、「広島の犠牲者に捧げる哀歌」などを作曲する技術トーン・クラスター)を開拓している。作曲者本人へのインタビューによると、彼の初期優れた器楽作品群は電子音楽なしでは全く考えられなかったとのことである。ミュージック・コンクレートと、狭義電子音楽とをまとめてテープ音楽総称する日本では 1954年NHK電子音楽スタジオ世界電子音楽初期から設立され黛敏郎によってミュージック・コンクレート電子音楽いち早く日本紹介された。シュトックハウゼン来日し作品「テレムジーク」を作るなど、NHK電子音楽スタジオ当時功績大きい。日本の作曲家では武満徹湯浅譲二松平頼暁などがここで活躍した武満湯浅NHKスタジオにかかわる以前から、東京通信工業ソニー前身)から開発されたばかりテープレコーダーおよびそれとスライド写真組み合わせたオートスライド借りてきて、その機械使ってテープ音楽製作していた。また彼らの属す芸術家グループ実験工房で、それらテープ音楽オートスライド作品発表会を行っている。これらの活動草の根ながら、世界的に見てテープ音楽歴史初期にあたり先鋭的活動をしていたことを意味するコンピュータ作曲上のパラメータ決定する自動作曲用いた最初の例としては、レジャレン・ヒラー(英語版)とレオナルド・アイザックソン(英語版)による、イリノイ大学コンピュータILLIAC I使った「イリアック組曲」 (1957年)が挙げられるコンピュータを、リアルタイム動作シーケンサないしシンセサイザとして使用する試みは、日本では1950年代末にパラメトロンコンピュータPC-1を使用して矩形波で「春の小川」を奏でたのが最初期の例であるが、世界各所で、また新しタイプコンピュータ現れるごとにおこなわれてきた。 コンピュータ音響合成への使用は、1957年ベル研究所マックス・マシューズによるプログラムMUSIC始まりとされるその後プログラム各地広がり信号処理音響合成研究使用され1967年FM音源原理発見や、1970年代デジタル・シンセサイザー開発繋がった

※この「第二次大戦後:1940-50年代」の解説は、「電子音楽」の解説の一部です。
「第二次大戦後:1940-50年代」を含む「電子音楽」の記事については、「電子音楽」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第二次大戦後:1940-50年代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第二次大戦後:1940-50年代」の関連用語

第二次大戦後:1940-50年代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第二次大戦後:1940-50年代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの電子音楽 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS