第一次世界大戦と軍縮時代
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「金剛型戦艦」の記事における「第一次世界大戦と軍縮時代」の解説
金剛竣工間もなく、第一次世界大戦が勃発した。イギリスと日英同盟を結んでいた大日本帝国も連合国軍として参戦することとなり、金剛ら新鋭の巡洋戦艦群にも出撃命令が下された。当時金剛型4隻から成る第三戦隊は世界最強とうたわれており、北海・地中海方面のドイツ海軍に手を焼いていたイギリス海軍からその一時貸与を申し入れられた。さすがにこれは断ったものの、太平洋や中国方面のドイツ東洋艦隊の動きを封じるべく活動を行った。 第一次世界大戦中の1916年5月、海軍史上有名なユトランド沖海戦が起こり、これが巡洋戦艦たる金剛型のあり方を大きく変えることとなった。海戦自体は史上最大規模の砲撃戦であるにも拘らず、前衛部隊として矢面に立った巡洋戦艦に被害が集中し、両軍合わせて4隻も撃沈されるというものであった。特にライオン級の3番艦「クイーン・メリー」がドイツ巡洋戦艦「デアフリンガー」からの唯2発の直撃弾によって轟沈したことは衝撃的であった。前述の通り、金剛型の攻撃力・速力の優位はライオン級よりも装甲を若干薄くすることによって得ていた。ライオン級は巡洋戦艦にしては高い防御力を持っていたため問題なしと思われたのだが、そのライオン級の一艦がたった2発の砲弾によって撃沈されたことは、より深刻なものと受け止められた(その原因は水平防御力の不足であり、実は戦艦にも共通する弱点であった)。 日本海軍に限った話ではなく、各国ともユトランド沖海戦を戦訓とした戦艦、すなわちポスト・ジュットランド艦の建造に踏み切ったが、一方で、終戦後戦勝国の間で激化し始めた建艦競争を沈静化すべく1922年にワシントン海軍軍縮条約が締結された。その結果、本級の後継上位艦種として期待されていた天城型巡洋戦艦が建造できなくなったため、金剛型を改装してポスト・ジュットランド型戦艦とすることとした。 ユトランド沖海戦の戦訓は、1に巡洋戦艦の防御力不足、2に戦艦の速度不足、3に戦艦・巡洋戦艦を問わず水平防御の不足である。もとより巡洋戦艦にしては防御力の大きい金剛型の改装は、3の水平防御力の強化が主目的となった。まず1924年、先に事故を起こして現役を離れていた榛名を皮切りに改装に入り、霧島・金剛・比叡と続いて改装を行っていたが、1930年のロンドン海軍軍縮条約により金剛型1隻を削減することとなったため、改装の進行度が最も遅れており、不具合の多かった比叡をこれに充てることとした。これにより金剛・榛名・霧島は排水量29,330t(約3,000t増加)となり従来より耐弾性を強化したが、その代償として速度が25ktにまで落ち込み、1931年6月に艦種類別を「戦艦」へと変更された(この時「巡洋戦艦」という類別は廃止された)。 速度25ktという数値は、ユトランド沖海戦以前のどの戦艦よりも快速であったが、巡洋戦艦としては低速である。防御力も垂直防御は従来のままで、巡洋戦艦としては強力だが戦艦としては不十分であったが水平防御に関しては新たにNVN甲鈑が貼り増しされ、扶桑型と比べると防御を著しく向上した。また、主砲は35.6cm砲連装4基8門と門数は少な目であったが、散布界過大、射撃速度の低下、爆風による弾着観測や射撃指揮への影響など問題の多い12門艦と違い8門艦の金剛型では上記のような問題は発生しておらず、極めて優秀な成績を収めていた。比叡は4番主砲塔及び一部の装甲と缶が撤去され排水量19,500t、速力18ktの練習戦艦になった。比叡はこうして戦力外にこそなったものの、重量と任務的には余裕ができたため、4番砲塔部に見学用の台を設け昭和天皇の御召艦を何度も務めるなど軍艦としては名誉な役回りを演じることとなる。 ロンドン海軍軍縮条約の満了期限が迫ると、各国とも条約の枠組みに囚われない艦を建造、または既存艦の改造に着手するようになり、金剛型もまたもや榛名を皮切りに霧島、金剛と第二次近代化改装に入り、条約脱退を宣言した頃にはこれら3艦の改装もだいぶ進んだ状態にあった。3艦の改装完了後、長らく練習戦艦として過ごしていた比叡もまた、それら3艦が二度に分けて行った改装をまとめて施し、戦艦として復帰することとなる。なおこの際、比叡は後の大和型戦艦に導入される新技術のテスト艦となり、他の姉妹艦よりも大和に酷似した艦橋を持つことになったことが知られているが、他にも主砲旋回部に旋回速度の速い水圧機関を導入するなど、他3艦とはかなり違った艦となった。
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