第一次世界大戦と軍縮条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:51 UTC 版)
「イギリス海軍」の記事における「第一次世界大戦と軍縮条約」の解説
イギリス海軍は第一次世界大戦で、食料・武器・原材料をイギリス本国に供給し続けることと、ドイツの無制限潜水艦作戦を負かすのに不可欠な役割を演じた。 「ドレッドノート」の竣工に伴い、弩級戦艦の時代が始まった。ドイツ海軍との建艦競争により、イギリスはフランスとロシアに接近して植民地を巡る対立を解消した。第一次世界大戦でイギリス海軍のほとんどの戦力は、ドイツ海軍の大洋艦隊を相手に決定的勝利が得られる地点に引き込むべく、本国のグランドフリート(英語版)に配備された。ドイツ海軍との決戦こそなかったが、ヘルゴラント・バイト海戦、コロネル沖海戦、フォークランド沖海戦、ドッガー・バンク海戦、ユトランド沖海戦など多くの海戦でドイツ海軍と戦った。特に最後のユトランド沖海戦は最も有名な海戦で、イギリス海軍は損害を代償に大洋艦隊を抑え込むという戦略目標を達成した。 1922年に個々の艦船の排水量と艦砲の口径を制限するワシントン海軍軍縮条約が5か国で締結された。第一次大戦終結直後であったことや世界恐慌の影響を受け、イギリスでは第一次大戦時の主力艦を廃棄し、口径が15インチ以下の艦船の建造計画を中止することが決定された。排水量4.8万トン、18インチ砲9門のN3型戦艦と同量の排水量と16インチ砲9門の装備を予定したG3型巡洋戦艦がキャンセルされた。また、大型軽巡洋艦の「グローリアス」、「カレイジャス」、「フューリアス」が航空母艦へと改装された。1920年代に新しく艦隊に加わる艦船はネルソン級戦艦2隻、カウンティ級重巡洋艦15隻、ヨーク級重巡洋艦2隻など最小限に抑えられた。 1930年のロンドン海軍軍縮会議では1937年まで主力艦の建造を延期し、巡洋艦・駆逐艦・潜水艦に対する制限が見直された。国際間緊張の増加に伴い、1935年に第二次ロンドン海軍軍縮会議が開催された。1938年までの制限を設けられたものの、実際はないがしろにされ、海軍拡張の急進を止めるには至らなかった。それにも関わらず、イギリス海軍は排水量35,000トンに14インチ砲を装備したキング・ジョージ5世級戦艦をはじめ、空母「アーク・ロイヤル」、イラストリアス級航空母艦、タウン級軽巡洋艦、クラウン・コロニー級軽巡洋艦、トライバル級駆逐艦など再軍備は制限に基いて行われていた。新造艦に加え、旧式戦艦、巡洋戦艦、重巡洋艦に対空火器を増強する改装も行われた。結果、第一次世界大戦時の老朽艦、条約制限に固執した設計と無制限化後に設計された戦間期の建造艦などからなる混成の艦隊のまま、第二次世界大戦に参戦した。しかし、旧式艦は第一次世界大戦時と比べて小型で旧式であったが、強力な存在であった。
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