第一次世界大戦のヴォワザン機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 01:15 UTC 版)
「ヴォワザン」の記事における「第一次世界大戦のヴォワザン機」の解説
1912年のフランス海軍のためにType L(ヴォアザン I)が開発され、70機ほどが製造されロシアでも少数が製造された。後継機のType LA(ヴォアザン III)は第一次世界大戦の勃発により多数が製造された。さらに改良されてType LB(ヴォアザン IV)、Type LBS(ヴォアザン V)が製造された。1916年に大型化されたType LC(ヴォアザン VII)は失敗作となり100機ほどの生産にとどまった。 第一次世界大戦の勃発後、フランスでは、航空工業の生産力を増加させるために、異業種の企業は航空業界に参入した。1918年までに機体を製造するVoisin-Lafresnaye社やエンジンを製造するVoisin-Lefebvre社が作られた。 ヴォアザン VIIに続いて作られた、ヴォアザン VIII(Type LAP、Type LBP)は1916年から1917年の間の、フランス陸軍の主要な夜間爆撃機となり大量に生産された。ヴォアザン IX(Type LC)は偵察機としてはサルムソン 2やブレゲー 14に性能が劣り、ヴォアザン VIIIにより信頼性の高いエンジンとしたヴォアザン X(Type LAR、Type LBR)は登場が遅れたが終戦までに900機が製造された。最後の設計のヴォアザン XIIは終戦により生産されなかった。 1918年になってガブリエル・ヴォアザンは、自動車工業に興味を持ち、航空事業から撤退した。
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