空襲計画
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開戦以来連勝を続けている最中に突然の本土空襲を許し、面目を潰された日本海軍令部は、これに対抗して急遽巡潜乙型潜水艦「伊号第二十五潜水艦」(以下伊25とする)に搭載されている零式小型水上偵察機によるアメリカ本土への空襲を計画した。 日本海軍令部は、一連のアメリカ本土攻撃作戦以降、日本陸軍部隊の上陸に対する対応を整えつつある生産施設や都市部を避けるという理由と、少量の爆弾でも延焼効果が期待できるという理由から、空襲の目標をアメリカ西海岸のオレゴン州の森林部と位置づけた。これは同州を縦断するエミリー山脈の森林に焼夷弾により山火事を発生させ、延焼効果により近隣の都市部に被害をあたえることを目的としていた。零式小型水上偵察機は通常装備は機銃だけで爆弾等を搭載できないが、この計画に合わせて、急遽焼夷弾2発を搭載するように改造された。
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空襲計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 09:28 UTC 版)
真珠湾攻撃を実施した第一航空艦隊の損失は29機であった。連合艦隊司令部では、参謀長宇垣纏中将が「夜間の駆逐艦二隻に依る砲撃何程のことやあらん」としてミッドウェー島への砲撃を提案し、他の参謀達も同意した。そこで連合艦隊司令部は、連合艦隊電令作第十四号「機動部隊ハ帰路情況ノ許ス限リ「ミッドウェー」島ヲ空襲シ之ガ再度使用ヲ不可能ナラシムル如ク徹底的破壊ニ努ムベシ」という電文を送って、ミッドウェー島攻撃を第一航空艦隊に促した。 第一航空艦隊長官南雲忠一中将はこれに基づいて、12月10日に各艦に対して信号によりミッドウェー島攻撃の意思を伝えた。これに先立ち、第一航空艦隊でもミッドウェー島攻撃の際には第五航空戦隊、「霧島」に駆逐艦「浦風」と「秋雲」を付することを内定していた。しかし、悪天候が続いて補給ができなかった関係もあり、具体的な攻撃計画は立てられず、12月14日にはミッドウェー島の北西に至ったので攻撃は遂に行われなかった。第二航空戦隊司令官山口多聞少将は、南雲長官が予定航路を進み、ミッドウェー島に近接する行動をとらないので、「命令であるから万難を排して完遂するように努力すべきであり、また現在地は荒天であるが、ミッドウェーに近づけば天候も回復し攻撃の可能性がある」と、「赤城」と信号で交渉するも聞き入れられず、直談判しようと飛行機を準備したが、悪天候が続いていたため果たせなかった。 この命令に関し、第一航空艦隊司令部は批判的であり、参謀長草鹿龍之介少将は「これは命令であるから否応なく実施すべく麾下に命令を発したのであるが、私として甚だしく不愉快であった。機動部隊の全力を挙げて、ミッドウェーをたたくことは何でもないことだが、攻撃するなら組織的に一応の計画を樹(た)てて、慎重にやるべきだ。当時の情勢としては、必ずしもミッドウェーをたたく必要もなく、また、たたいてみたところで土地をたたくまでのことである。これを帰りがけの駄賃に一稼ぎさせようという連合艦隊の出来心が気に食わない。大冒険を決行し大戦果を挙げて意気揚々として引き揚げて来る機動部隊に対しては、脚下に気をつけて怪我をするなと面倒をみることこそ最高司令部の心構えでなければならない。」「疾風のように敵に近づき一撃を加え、うまくその所在を隠すことは、われの次の行動が判断できないので、敵は多大の不安を生じ混乱を続けるものである。事実米国では機動部隊が米本土西岸に現れるかも知れないと騒いだと聞いている。それなのに大した効果も期待できないミッドウェー島を攻撃して、われの所在を現わすことは、敵の立ち直りを早くするに過ぎないから、このまま所在を示さない方が有利と考えた。」と戦後語っている。また、航空参謀の源田実は「支那事変の経験から飛行機の陸上攻撃は不徹底で、到底連合艦隊の要求するような再度使用不能にするような方法は考えられなかった。それより敵は混乱その極に達しているから、この際はむしろわが所在を秘匿しておく方が有利だと考えた。」と戦後語っている。一方で、第八戦隊首席参謀藤田菊一中佐は、ミッドウェー攻撃破壊は連合艦隊の適切な処置として支持している。 連合艦隊司令部では、ミッドウェー空襲の報告がこないことに困惑していたが、14日に南雲から攻撃断念の電文を受けとり、宇垣は「少々失望」したという。そこで連合艦隊司令部は、代わってウェーク島の戦いへの協力を命じ、第一航空艦隊では「一応の計画」を盾に反発があったものの、最終的には第二航空戦隊(蒼龍、飛龍)・第八戦隊(利根、筑摩)・第17駆逐隊(谷風、浦風)をウェーク島近海に派遣することとなった。 12月23日、第一航空艦隊は日本本土に帰着。午後6時、宇垣連合艦隊参謀長は空母「赤城」に草鹿参謀長を尋ね、凱旋を祝った。草鹿参謀長は作戦中の所見を述べるとともに、ミッドウェー島攻撃命令について「帰途に於けるミッドウェー空襲命令は情況許す限りなりしも、参謀長自身としては腹が立ちたり。」と批判した。
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