神になった人
『小桜姫物語』(浅野和三郎) 「私(小桜姫)」は足利時代末期に現世に生きた者で、相州荒井の城主三浦道寸の息子・荒次郎義光の妻であった。夫義光が討ち死にして1年余り後に、「私」は34歳で病死した。里人が時折、野良(のら)の行き帰りに「私」の墓に香華をたむけていたが、ある年、三浦の土地が大海嘯(つなみ)の災厄から逃れたことが契機で、里人は小桜神社を建立し、土地の守り神様として「私」を祀った。
*病気に苦しんで死んだ人が、神になる→〔病気〕1aのうば神様の伝説。
*恋に苦しんで死んだ人が、神になる→〔恋わずらい〕4aの『じゅりあの・吉助』(芥川龍之介)。
『浦島太郎』(御伽草子) 浦島太郎は玉手箱を開け、鶴になって虚空に飛び上がった。後に彼は、丹後の国に浦島の明神としてあらわれ、衆生を済度した。龍宮城の女房の本体である亀も、同じ所に神としてあらわれ、夫婦の明神となった。
『小栗(をぐり)』(説経) 小栗判官は鞍馬の毘沙門に、照手姫は下野の日光山に、親が申し子をして得た子である。2人は結婚し、長者となり長寿を得た。死後はそれぞれ、美濃の国安八郡墨俣の、正八幡の荒人神(あらひとがみ)・契り結ぶの神となった。
『熊野の御本地のさうし』(御伽草子) 天竺・摩訶陀(まかだ)国の善財王は世をはかなんで(*→〔父さがし〕1)、7歳の王子、亡き后・五衰殿のせんかう女御の首、ちけん聖などとともに、飛ぶ車に乗って都を出、日本の紀の国に到った。彼らは熊野権現の神となった。證誠殿は善財王、両所権現は五衰殿の女御、那智権現はちけん聖、若王子は7歳の王子のことである〔*類話の『神道集』巻2-6「熊野権現の事」では、「五衰殿の善法女御」「喜見上人」とするなど小異がある〕。
『梵天国』(御伽草子) 玉若は、父母が清水の観音に願って得た子である。彼は梵天国王の姫君を妻とし、中納言になり、丹後・但馬の国を領地とした。玉若は丹後に住み、80歳の年に久世戸(=切戸)の文殊となった。妻は成相寺の観音となった。
*→〔貴種流離〕1の『日光山縁起』・〔小人〕1aの『小男の草子』(御伽草子)・〔再会(夫婦)〕4の『神道集』巻7-43「葦苅明神の事」。
『変身物語』(オヴィディウス)巻15 アウグストゥスはローマの初代皇帝となった。世界の統領ともいうべき偉大なアウグストゥスが人間の子であってはおかしいとの理由で、その父(実際には養父)カエサルは、神とならねばならなかった。カエサルが暗殺された時、女神ヴェヌスが、彼の死体から魂を救い出して天に運んだ。魂は、炎のような尾を引く箒星となって輝いた。
『地獄の黙示録』(コッポラ) ベトナム戦争の時代。米軍特殊部隊のカーツ大佐はカンボジアの密林地帯に潜入し、現地人たちの王国の「神」となって、君臨する。米軍司令部が、カーツ暗殺をウィラード大尉に命じ、ウィラードは王国へ乗り込んで、カーツと対面する。カーツは、アジア人の思考と行動が米国人の理解を絶するものであることを語る。祭の夜、ウィラードは鈍刀で切りつけ、カーツを殺す。カーツは抵抗せず、自らの死を待っていた。現地人たちはウィラードを新たな神としてあがめる。ウィラードは振り返ることなく王国を去る。
『石神』(狂言) 妻が夫に愛想をつかし、親里に帰ろうとして、神社の石神に伺いをたてるというので、夫が石神に扮して妻を待つ。妻が「石神が上がれば親里に帰り、上がらねば夫のもとにとどまる」と念ずると、夫は持ち上げられないように力を入れる。妻はいったんは真の神のお告げと信ずるが、すぐに夫と見破る。
『パンチャタントラ』第1巻第5話 王女に恋した織物師が、木製のガルダ鳥や、法螺貝・円盤・棍棒・蓮華を持つ4本の腕などで身をよそおい、ヴィシュヌ神に変装して王女の寝室へしのび入る。織物師は王女に、「私(ヴィシュヌ)の妻ラーダーが、あなたに生まれ変わったのだ。だから私は来たのだ」と言い、王女はそれを信じて織物師に身をまかせる。
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