発見と分類の歴史
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模式種である Grendelius mordax は、イングランドのキンメリッジ・クレイから発見された同じ個体の物と考えられる体骨格要素を有する完全な頭骨 CAMSM J.68516 に基づき1976年に記載された。種や属が独立していることの証拠には化石の差異が不十分だったため、後にブラキプテリギウスに再分類されることとなった。 ロシアの沿ヴォルガ連邦管区に位置するウリヤノフスクのジュラ紀後期チトニアン期にあたる Pseudoscythia Zone から出土した単一の模式標本に基づいて、Efimovは1998年に新たな魚竜 Otschevia pseudoscythica を記載した。後に Arkangelsky はロシアのサラトフに存在するチトニアン期の地層から Brachypterygius zhuravlevi を1998年の論文において記載し、Otschevia zhuravleviに再分類した.。Maisch と Matzke はロシアで発見された2種は互いにシノニムであると考え、B. pseudoscythica(B. pseudoscythius の誤植)としてブラキプテリギウス属に再分類した。こうしうてグレンデリウスと Otschevia はブラキプテリギウスのジュニアシノニムと考えられるようになった。 2001年にはロシアのジュラ紀後期の地層から Arkhangelsky が Otschevia alekseevi を命名し、McGowan と藻谷亮介は2003年の論文でこれらのロシアの種をブラキプテリギウスの有効な種である B. extremus のジュニアシノニムとして扱ったが、Maisch は2010年の論文でこれらの種を B. mordax とともに B. extremus とは別の種としている。 2015年に発表された Arkhangelsky と Stenshin の新たな論文では、グレンデリウスと Otschevia はブラキプテリギウスの模式種のシノニムではなく、プラティプテリギウス亜科においてブラキプテリギウスよりもプラティプテリギウスに近縁であるとされている。
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発見と分類の歴史
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深海で固着生活をしておりまた細長く切れやすいため標本の入手が困難で、知られるようになったのも遅く、研究は曲折を経ている。 この動物が知られるようになったのは20世紀に入ってからである。ヒゲムシについては1900年頃にオランダ領東インド(現インドネシア)でのSiboga号による調査で採集した標本を元に、1914年にモーリス・コルリーが記載したのが最初である。上位分類群への所属は不明のまま、Siboglinum属を記載し新科Siboglinidaeを立てている。このときから消化管がないことは知られていた。神経は背側にあるとしてコルリーは半索動物との類縁を指摘した。また、1933年にはオホーツク海で採集された標本をロシアの多毛類研究者Uschakovがケヤリムシ科 (Sabellidae) の新亜科新属新種として記載した。しかし、スウェーデンの多毛類研究者Johanssonは切片標本からその内部構造を調べたところ他の門と異なっているとして、門は不明ながらホウキムシに近い新綱として、ここに以後数十年にわたって使われることになるPogonophoraの名前が付けられた。 分類上の位置についてはその後もさまざまな論議があったが、1944年にBeklemishevが後口動物に属する独立の門とする説を出し、以後これを支持する意見が多かった。終体部が欠けた標本では、体が大きく三つに分かれそれぞれに体腔があるとみなされて、三体腔性の構造が半索動物に近いと考えられたためである。また、初期発生の知見が少なく、放射卵割、原腸由来の体腔であるとされた。 消化管がないことについては、群体性動物で、個虫は多形であり、消化器官を持ったものがまだ知られていないと考えられたこともある。神経が消化管に対して背腹のいずれにあるのか決定するのが困難であったため、神経が背側にある後口動物、とりわけ半索動物に近縁であるとする意見と、神経が腹側にある前口動物、なかでも多毛類の一群あるいは近縁の分類群であるとする説の双方が提出されていた。触手によって体外消化をすると考えられたこともある。多数の触手を持つものでは、それらが並ぶことで作られる管の内側が消化管内部のような構造を作り、そこへデトリタスなどの微粒子を取り込み、消化して触手から吸収するという推測であった。のちには、溶存有機炭素を体壁から吸収するという意見も出された。 ところが、1964年に終体部が見つかってみると、ほぼ完全に多毛類の体であった。三体腔性との判断も崩れた。これを契機に系統論議が再燃し、後口動物の一群との意見を保持する研究者もいれば、螺旋卵割・剛毛のある体節・腹側の神経であるとして前口動物の環形動物に近いものあるいは多毛類の中に含まれるべきものとの説も出るようになった。 ヒゲムシの系統について意見がまとまらないまま20世紀も半ばを過ぎた頃、ハオリムシが知られるようになった。1969年、カリフォルニア沖の深海で発見されたものが記載され、さらにガラパゴス沖の深海の熱水鉱床で多数生息することが1981年に報告され、熱水噴出口の周囲に輝く白い棲管と赤い鰓が目立つその姿は有名となった。これはしばらくは所属不明、名称不詳のままチューブワームと見たままの名で呼ばれた。ハオリムシはヒゲムシとともに有鬚動物とされることも、より環形動物に近いとしてVestimentiferaとして独立の門とされることもあった。胴部に細胞内共生している細菌が発見され、独立栄養であることが明らかにされたことで、長い間の謎、自由生活でありながら消化管が欠けているこの動物がどのように栄養を得ているか、が明らかにされた。 細胞外ヘモグロビンのアミノ酸配列を用いた1988年の日本人による先駆的な研究を始めとして、分子系統学でこの分類群の解析結果が発表されると、ヒゲムシ・ハオリムシをあわせたものが多毛類の下位単系統群であることを支持するものであった。また、形態に基づいた分岐分類学の解析結果も同様であった。Pogonophora(ヒゲムシ)と一時は独立の門にされたVestimentifera(ハオリムシ)は両者で合わせて単系統群であることから多毛類の科とし、名称を記載当初のSiboglinidaeとする意見が出されたのである。環形動物の中で綱の階級に置くなどの意見も出されたが、現在は科にする意見が受け入れられている。 鯨骨生物群集が20世紀末から知られるようになり、2004年、その一群として本分類群の1属Osedaxが記載された。矮雄を持つ。ホネクイハナムシの和名で呼ばれるのはこのうちの1種である。
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