発見と初期の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 15:36 UTC 版)
1907年(明治30年)刊行の『日本石器時代人民遺物発見地名表』が初出とされる(国立国会図書館デジタルコレクションでは増訂4版で確認できる)。1923年(大正12年)に首藤岩泉が打製石斧などを採集している。大正から昭和初期にかけて前田家の別荘(三楽荘)の建築時に多数の遺物が掘り出され、『小金井村郷土誌』に報告された。 最初の発掘調査は1939年(昭和14年)に藤原音松らにより行なわれ、1946年(昭和21年)には甲野勇・G.グロート・塩野半十郎・後藤守一ら、1952年(昭和27年)には甲野勇・松井新一が発掘調査を行なった。1957年(昭和32年)から武蔵野郷土館の吉田格の指導による東京学芸大学考古学研究室による発掘調査が断続的に8回行なわれたほか、1965~1967年(昭和40~42年)には小金井市誌編さんのための発掘調査も行なわれた。これらは住居跡1~2軒を対象とする小規模なものであった。
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