番組開始と終了経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:54 UTC 版)
「内海ゆたおの夜はドッカーン!」の記事における「番組開始と終了経緯」の解説
番組概要の項目に執筆されている番組開始と終了についてのエピソードについては、ゆたおと親友である伊集院の発信により巷に流布されるケースが多く、後年にゆたおが巷に流布されている話や当該ページを含めたWikipediaの執筆記述含め、美談として誇張されると思っているため、番組終了から26年が経過した2016年に現在、所属している一般社団法人漫才協会のYouTubeチャンネルにて配信されているYouTube動画の『ハデジのいろいろめんどくさい』2016年3月27日アップロード分にて発信した。 ゆたおは元来、漫才一本で芸に取り組みたい思いを抱いており、タレント活動に対して消極的であった事に対しては、後年に伊集院も当時の事についてニッポン放送含めた他局のラジオ番組等で語っている。当該番組のオーディションについて、当時、笑組が所属事務所していたマセキ芸能社から受けに行って欲しいと言われ受動的に行かされたとしている。オーディション中からコンビ結成3年目でコンビでしか仕事を受けられない実力しか持ち合わせていない事を自認しており、コンビでの当該番組出演を切望していた。しかし当該番組の編成局制作部のチーフディレクターであった松島宏から、若年層向けの夜ワイド番組のコンセプトとして「ブースにいる人間同士のトークを聴かせる構成では無く、番組を通してリスナーと会話する事が主眼」であるため、コンビでの出演は出来ないと拒否され、ニッポン放送のオファーに対して複数回事務所を通じて断りを入れている。そのやり取りの流れについても、笑組の師匠である内海好江に報告し、好江もゆたおがピンで仕事出来る実力を持ち合わせていないからゆたおの判断を尊重していた。 しかし、ゆたおは当該番組のオファーの前年に『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)のピンのオファーも蹴っていたため、マセキ側から「今回のオファーを蹴るともう2度とフジサンケイグループ(の放送局)から仕事は来なくなってしまう」と説得されたため、オファーを受ける条件として「ピンでの実力が無いのだから1年以内で降板する事が最低条件に同局の番組に出演する」と提示してオファーを受けた。以上の経緯だったため、打合せの段階から鬱屈した気持ちで番組に出演しており、当該番組開始前のネット局向けの内包番組の収録から嫌々な気持ちのままであったと懐柔している。 また、「笑組」の漫才スタイルが、師匠が内海桂子・好江であるため、正統な漫才として言葉遣いの品が良く、コンビの見てくれもゆたおがボケ役として太っており、芸事以外のマナーも厳しく躾られていた。しかし、同局で打ち合わせの段階で松島からラジオパーソナリティのキャラ付けとしてゆたおの芸風を全否定し、「デブが(タプタプの喋りしてるから)ダメ」 、「一人称を僕と呼称するのはダメ」、「喋りの内容がダメ」だから人格を変える事を強要され、番組の初回で「3ヶ月で20Kgのダイエットを宣言し、ダイエット出来なければ坊主すると言え」と強要された。 その結果、ゆたおはダイエットを実行したため、現在のコンビの見てくれと同じく、デビュー時と逆になってしまった要因になった。ゆたおの見てくれが変わった事に対して当時社長(元会長)であった柵木眞が言及し、事態の把握をしていなかった事に対し、ゆたおは不信感を抱き理由を問い質すと、当時のマセキは放送局にとって我が儘を言わない都合のいい事務所であったため、ニッポン放送の編成部と制作部はゆたおのマネージャーに対して、局へ同行する事を禁止していた結果で、当該番組開始から終了まで続いた。番組放送当時、松島はラジオの喋りに対して厳しいディレクターであったため、ゆたおの喋りを一字一句チェックし、番組終了後の反省会と称するダメ出しに2時間の時間を割いていた。 その後、番組開始から9ヶ月が経過し、マセキに降板の最低条件の件を問い質すとニッポン放送側と交渉してなかった事に対し、番組出演拒否をチラつかせた。その後、マセキがニッポン放送の側にゆたおの希望を伝えたため、当時編成局長である宮本幸一からゆたおと専務(現・社長)であった柵木秀夫がヒアリングの為に同局に呼び出され、「ココだけの話にするから」と念押しをされて、ゆたおが松島に対しての思いを吐露した。 しかし、後刻ヒアリング当日の放送日に局に出勤した際に打合せと称して松島に呼び出され、宮本がヒアリングした話が松島に全部筒抜けになっていた為、ゆたおはタレントとして放送局での仕事をしたくないと硬く誓った程であった。その後、当該番組を辞められず時間が経過した後、コーナーレギュラーであった相方のかずおも同局に来訪した際、かずおが事務所との電話にて演芸番組のネタ見せのスケジュール調整をした際、電話口の相手である柵木眞に対してネタ見せ予定時間の後ろ倒しの願いを伝えたら、かずおから電話を代れと言付けられて眞と会話した際、後ろ倒しの件を叱責されたためゆたおが激怒したところ、眞がゆたおが精神的におかしくなったと思い込み、これがきっかけとなって、翌日に眞がニッポン放送に降板を申込んだ結果であると明かした。 そのまた翌日、宮本から再び呼び出され、「(チーフDの)松島を外すからもう1年やってくれ」と懇願されたが、「本来の出演契約は1年という約束で受けたので」と突っぱねた。この経緯として、マセキ側がゆたおに対するいい加減なマネジメント対応と当時のニッポン放送の編成と制作の思惑が入り混じっていた事が伺えており、ゆたおが宮本に裏切られていたことから前述の誓いを抱いたため、自身の公式プロフィールから黒歴史として当該番組の出演情報を抹消している。しかし、ニッポン放送としてはゆたおに期待していたため、実績が皆無なゆたおに対して、当該番組の前番組であった『ヤングパラダイス』のパーソナリティであった三宅が『ヤンパラ』就任時よりも高いギャラを払っていると松島は番組開始の段階から雑談で伝えていたので、ゆたお本人と局との齟齬は存在している。 当時:リスナーであった一般人から、当時の降板について問われる事やWikipediaの記述や伊集院の発信の方が影響力が強い事もあり、ゆたおから能動的に発信したと明かしている。また、結果としてこの件が原因となり、松島は制作部の夜班から外され、昼班の担当に異動となり、後に2006年のライブドアによる敵対的買収事件を経て、同年4月1日から会社分割により、転籍対象者としてフジテレビに転籍となり、報道局の報道記者として従事し。後年の2018年に同局の子会社であるミックスゾーンに出向し、ラジオディレクターとして復帰している。
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