現代におけるガンディー
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「マハトマ・ガンディー」の記事における「現代におけるガンディー」の解説
現代においてもガンディーは世界的に敬慕の対象となっている。 ロンドンのタヴィストック・スクウェアには1968年、ポーランド人彫刻家の作品であるガンジー像が建立された。2015年にはウェストミンスターの連合王国最高裁判所前のパーラメント広場(英語版)にも銅像が建立された。マラウイ共和国でも建立が進められている。 アーメダバードには、ガンディーが1930年まで修行・活動した施設「サバルマティ・アシュラム」が現存しており、インド国内外から多くの来訪者がある。2017年6月の創設100周年記念式典には、インドのナレンドラ・モディ首相が出席した。 首都ニューデリーには、ガンディーが荼毘に付された場所に廟(ラージ・ガート)が建てられており、2018年1月30日の没後70年追悼行事にはモディ首相らが参列した。また、これらの顕彰施設代表者らでつくるガンディー研究評議会が活動している。このガンディー廟には日本からは天皇・皇后が皇太子夫妻時代を含めて二度訪問している。 ただ独立から半世紀以上経ち、ガンディーならびに彼の思想はインドの社会一般および国際社会において、往時のような無批判な賞賛という扱いは受けなくなってきている。 独立後20年近くの期間にも渡って国民会議がインド全土で政権の座を握り続けていられたのは「独立の父」ガンディーの威光によるところも大きく、それゆえ独立後間も無く暗殺されたガンディーは殊更に神格化されてきたとも言える。しかしながら、ガンディーの後継者とされた独立後初代首相のネルーは、経済政策の上ではガンディー主義(Gandhism)に真っ向から対立するネルー主義(Nehruvism)開発経済体制を導入し、生前ガンディーが反対していた産業の機械化・工業化を積極的に推し進めた。 このため、インドで多くの人々がガンディーを「国家を独立に導いた偉大な人物」として表向きには称える一方、その反面では彼の人物像やその思想に対して「時代遅れで非現実的」という評価を下す風潮が顕在化してきた。 ネルーが独立直後にイギリス政府高官に「ガンディーはあくまでインドを引き裂いてはならないという。しかしイスラーム教徒は我々がいかなる妥協を示しても自分達の国家をつくると言って譲らない。インド各地で起きている血塗れの惨劇はエスカレートするばかりである。我々は敢えて頭痛から逃れる為に、頭を切り落とさなければならない。最早ガンディーのような中道的な立場は非現実的であり、残念ではあるが、ガンジーは今政治の中心から逸れてしまっている」と述べたように、当時から現在までイスラム教徒と他教徒との争いは顕在化しており、そうした実態を結果的に無視する形となった宥和政策も、民衆感情に反するものであった。 また、暗殺犯のゴードセーを英雄視するヒンドゥー原理主義者もいる。 そのような状況の中、新たな形でのガンディー再考の試みが映画や演劇などの分野でなされてきている。なかでも現在インドで最も注目を集めているのが、2006年にインドで公開された『Lage Raho Munna Bhai』(लगे रहो मुन्नाभाई, ラゲー・ラホー・ムンナー・バーイー)というヒンディー語映画である。作品中ガンディーは、主人公である街のヤクザ者にだけ見える存在として登場し、DJとしてラジオで電話相談をする事になった主人公の口を通して街の人々に様々なアドバイスを与えている。 この作品は、いくつもの批判を呼び起こしながらも、人々が新たな角度からガンディーについて考え直す大きな契機を作り出す事に成功し、娯楽作品としての大ヒットも合わせて大きな注目を浴びた。特にこの映画中で提唱された「ガーンディーギリー」(गांधीगिरी, Gandhigiri)という言葉は、ガンディー主義を意味する旧来の「ガーンディーヴァード」(गांधीवाद)という言葉が帯びていた、「理念的過ぎて現実的ではない」というイメージを払拭する役割を果たし、にわかにインドでの流行語ともなっている。 2018年には、ガンディーが黒人に対して差別的だったという理由でアフリカ各地で抗議行動が広まった。インドの大統領からアフリカのガーナの首都アクラにある名門ガーナ大学のガンディー像は、設置から2年後に撤去された。
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