現代における『南方録』の位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 20:26 UTC 版)
「南方録」の記事における「現代における『南方録』の位置づけ」の解説
本書は現代の研究者からは、江戸時代に利休回帰が求められるなかで、「茶道」が複雑に理論化した実態を示す資料として用いられている。いっぽう「茶道」の立場からは、茶道の精神論が到達した一つの頂点として捉えられる(但し『南方録』に見られるような秘伝によって複雑化した茶道体系と、利休の茶はかならずしも同一の物ではない)。 また利休への回帰を目指した際に、理論基盤として禅宗が強調されすぎた点は重要である。この結果茶道史において、村田珠光が浄土宗信徒であり、また北向道陳が日蓮宗信徒である点などが恣意的に無視されてきたという歴史がある(なお近年では利休の師が紹鴎ではなく、日蓮宗徒の辻玄哉であったという説も提示されている(神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』 角川書店))。 偽書であることが明らかであるにもかかわらず、いまなおこの書を根拠にさまざまなことが語られる。他書には見られぬ「カネワリ法」はこの書を根拠にいまでもいくつかの家元で教えられているし、いま広く信じられさまざまの著述で語られる「利休は大男であった」という説もこの書でしか見られない。専門家の間では「偽書ではあるが、古い伝承も含まれている」との考え方も根強く、例えば茶室研究の第一人者である中村昌生は利休らの茶室を読み解く際にしばしば南方録を引用する。しかしそれらはあくまで茶室を読み解くためのヒントとしての引用であって、南方録の記述そのものを研究対象としているわけではない。ここにこの書に対する研究者たちの態度あるいは距離感といったものが伺える。 「たとえば立花実山によって元禄時代に手を加えられた書であるとしても、江戸時代の茶道思想の到達点を知るうえには重要な茶書であることには変わりない」との評価はうなずける (淡交社「原色茶道辞典」)。『南方録』の記述をそのまま史実と認めることはできないが、抹茶の理念を最も純化し理論化した書物として、また豊富な利休挿話集として、現代における茶の古典の第一と考えられている(角川書店「角川茶道大辞典」)。
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