現代における『山上宗二記』の位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 23:06 UTC 版)
「山上宗二記」の記事における「現代における『山上宗二記』の位置づけ」の解説
『南方録』が偽書として否定された後に、その影響を排した利休像の構築が茶道史研究の重要課題となった。同書はこの際に確実な天正年間の資料として地位を高め、堺の町衆の「わび茶」を論じる上での最重要資料になったのである。 類本が充実していたこともあり、陶磁研究家の竹内順一などを中心にして研究が進められた。その成果は当時竹内が勤めていた五島美術館の展覧会「山上宗二記 天正十四年の眼」(1995年)などを通じて一般に公開されている。 但し現在では、利休の高弟であることを理由に宗二の茶を利休のそれと安易に同一視してきたことへの疑念が持ち上がっており、利休関係の同時代資料との比較を基にした両者の質的差異の究明も課題となっている。
※この「現代における『山上宗二記』の位置づけ」の解説は、「山上宗二記」の解説の一部です。
「現代における『山上宗二記』の位置づけ」を含む「山上宗二記」の記事については、「山上宗二記」の概要を参照ください。
- 現代における『山上宗二記』の位置づけのページへのリンク