岡山城
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岡山城(おかやまじょう)は、備前国御野郡岡山[1](現・岡山県岡山市北区)にあった日本の城。国指定の史跡。別名は烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)[注釈 1]。
注釈
- ^ 一般的に烏城を使う場合が圧倒的に多い。また、松本城も通称「烏城」と呼ばれるが、混同を避けるため岡山城を「うじょう」、松本城を「からすじょう」と呼んでいる。
- ^ 石山の南3kmあたりまでに、「鹿田」「西市」(鹿田の西の市)「豊浜町」「御船入町」などの地名が残り、海岸線の名残りとして推測される。
- ^ 現在の和気町佐伯地区。前述の石山城に隣接する天神山にあった城とは別である。
- ^ やがて毛利氏の東進と織田氏の西進に挟まれた形の中、天正9年(1581年)頃、直家はこの城で没する。
- ^ さらに明治以降に河床を浚渫し、往時より数メートルは水面が低下しており、堤防の整備と、本丸付近の流路の曲率の緩和を行ったことなどに加え、上流には2ヵ所のダムが造られたため以前ほどの大洪水は起きなくなった。
- ^ ちなみに当時の標高は、本丸を指定された岡山より石山の方が高かったとみられ、普請する宇喜多家内部では疑問の声も上がったとの事である。
- ^ 重要文化財の西の丸西手櫓はこの時建てられた。
- ^ 毒饅頭事件として伝承される。
- ^ 中の段の御殿を一部二階建てとし、その二階から渡り廊下で繋がれた本段の御殿と連続しているような形をとることで、格式に合わせた床面積を確保するという手法をとっている。
- ^ 宇喜多氏時代の三之丸
- ^ 三之曲輪の西国往来付近は現在の表町商店街である。
- ^ 当時は園を後園と呼んだらしい。
- ^ 鉄砲をよける意図があったとされる。
- ^ シングルレコード(品番は4Rs-110およびTP-1439)のジャケットには「岡山城落城記念」「岡山市選定」と記載されている。シングルB面は浜田喜一の「岡山太鼓ばやし」。
出典
- ^ 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』
- ^ 岡山大学付属図書館『絵図で歩く岡山城下町』吉備人出版(2009年)
- ^ 吉岡三平・進昌三『岡山の干拓』日本文教出版
- ^ [https://web.archive.org /web/20190927125733/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50278340X20C19A9CR0000/ “聖火リレー、公募に延べ53万件応募”]. 日本経済新聞. (2019年9月27日). [https: //www.nikkei.com/article/DGXMZO50278340X20C19A9CR0000/ オリジナル]の2019年9月27日時点におけるアーカイブ。 2019年9月27日閲覧。
- ^ 定本 日本城郭辞典(西ヶ谷恭弘・編、秋田書店・刊)、岡山城の歴史(岡山城400年)岡山市企画局情報政策課・制作
- ^ 岡山城の歴史(岡山城本丸表向)岡山市企画局情報政策課・制作
- ^ “槍・旗櫓の遺構出土 岡山城本丸下の段”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2014年1月22日). オリジナルの2014年2月2日時点におけるアーカイブ。 2014年8月12日閲覧。
- ^ 岡山城「令和の(改修」工事に伴う岡山城(烏城公園)の通行禁止について
- ^ 岡山城がきょうから約1年半「休館」 天守閣を大規模改修、来年11月まで
- ^ a b c d e f 「烏城の漆黒」再現へ試行錯誤 岡山城大改修で市、乏しい史料 山陽新聞(2022年1月1日閲覧)
- ^ レファレンス事例詳細 国立国会図書館レファレンス協同データベース(2022年4月15日閲覧)
- ^ レファレンス事例詳細 国立国会図書館レファレンス協同データベース(2022年1月1日閲覧)
- ^ 人物探訪(第5回)相撲界出身 : 芝田 錦吾さん、岡山市中区◆海吉出村町内会◆、2003年5月28日。
- ^ 伊吹隼人『「トキワ荘」無頼派漫画家・森安なおや伝』社会評論社、2010年、pp.118-119
- ^ 『「トキワ荘」無頼派漫画家・森安なおや伝』p.278
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