烏土塚古墳
名称: | 烏土塚古墳 |
ふりがな: | うどづかこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 生駒郡平群町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1971.07.30(昭和46.07.30) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S45-5-117[[烏土塚古墳]うどづかこふん].txt: 近畿日本鉄道信貴・生駒線竜田川駅の西方丘陵部に位置する前方後円墳である。墳丘の全長は約65メートル、後円部径約32メートル、高さ約6メートル、前方部との比高は約2メートルある。 後円部の南に開口する横穴式石室は巨石で築かれ、玄室は長さ約6メートル、幅約2.1メートル、高さ約4.4メートルの両袖式の形態である。羨道部は長さ約8.2メートル、幅約2.1メートルあり、その中央には暗渠式排水溝が布設されている。また玄室には、凝灰岩質の組み合わせ式家形石棺が置かれ、羨道部からも石棺の底が検出されているほか、出土遺物には4獣鏡・大刀・金銅装馬具・玉類・須恵器など豊富であり、巨石古墳の中では出土遺物の明らかな稀少例とされる古墳である。 |
烏土塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 21:02 UTC 版)
烏土塚古墳 | |
---|---|
![]() 遠景(右に後円部、左に前方部) | |
所在地 | 奈良県生駒郡平群町春日丘1丁目4[1] |
位置 | 北緯34度37分4.07秒 東経135度42分8.67秒 / 北緯34.6177972度 東経135.7024083度座標: 北緯34度37分4.07秒 東経135度42分8.67秒 / 北緯34.6177972度 東経135.7024083度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長60.5m 高さ6m(後円部・前方部) |
埋葬施設 |
両袖式横穴式石室 (内部に組合式石棺2基) |
出土品 | 副葬品多数・埴輪 |
築造時期 | 6世紀中葉 |
史跡 | 国の史跡「烏土塚古墳」 |
地図 |
烏土塚古墳(うどづかこふん)は、奈良県生駒郡平群町春日丘にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。
概要
奈良県西部、信貴山東麓の平群谷において、竜田川西岸の独立丘陵上に築造された古墳である[1]。1969年(昭和44年)に発掘調査が実施されている[2]。
墳丘は前方後円形で、墳丘主軸を南北方向として前方部を北方向に向ける。墳丘は1段築成[1]。墳丘長は60.5メートルを測り、平群谷では最大規模になる[2][1]。墳丘外表で葺石は認められていないが、円筒埴輪列が認められている[1]。墳丘周囲には周溝(幅約2メートル)が認められる[1]。埋葬施設は後円部における両袖式の横穴式石室で、巨石を用いて構築され、南方向に開口する[1]。石室内では玄室に組合式家形石棺1基が、羨道に組合式石棺(家形石棺か)1基が据えられ、周囲から多数の副葬品・形象埴輪が検出されている[2]。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀中葉頃と推定される[2][3]。被葬者は明らかでなく、平群氏との関連性を指摘する説が挙げられている[2]。ただし当該時期の平群氏には目立った活躍が見られない点が注意される[2]。
古墳域は1971年(昭和46年)に国の史跡に指定されている[4]。
遺跡歴
墳丘
墳丘の規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:60.5メートル
- 後円部
- 直径:35.3メートル
- 高さ:6メートル
- 前方部
- 幅:31メートル
- 高さ:約6メートル
墳丘封土は版築的手法の盛土による[5]。
埋葬施設


埋葬施設としては後円部において両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する[3]。石室の規模は次の通り[3]。
- 石室全長:14.2メートル
- 玄室:長さ6メートル、奥幅2.8メートル、高さ4.3メートル
- 羨道:長さ8.2メートル、入口幅1.6メートル、高さ2メートル
石室は巨石を使用した奈良県内でも屈指の規模のもので、幅に比べて天井が非常に高い形態になる[2]。石材は西方の平群石床神社(平群町越木塚)付近のものとされる[1]。奥壁・前壁は垂直に、側壁はやや持ち送って積むことで構築され[1]、羨道下には暗渠の排水溝が設けられている[2]。石室の構造としては越塚古墳(桜井市)とはほぼ同一設計になるとして注目される[6]。
石室内では、玄室奥壁寄りに組合式の家形石棺1基が、羨道部に組合式石棺(家形石棺か)1基が据えられ、周囲から多数の副葬品(後述)が検出されている[3]。玄室棺は二上山白色凝灰岩製で[1]、蓋石を欠失するが、棺身東側石に斜格子の装飾文様が施される点で注目される[2]。羨道棺も二上山白色凝灰岩製で[1]、連接した石材3枚が棺底石として遺存する[2]。
-
石室俯瞰図
-
参考:越塚古墳石室俯瞰図
-
玄室(奥壁方向)
-
玄室(開口部方向)
-
玄室の石棺
-
羨道(開口部方向)
-
羨道(玄室方向)
出土品
石室から検出された主な副葬品は次の通り[3]。
また羨道部から前庭部にかけて、形象埴輪(人物形・家形埴輪など)が検出されている[3]。
-
家形埴輪片
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館企画展示時に撮影。
文化財
国の史跡
- 烏土塚古墳 - 1971年(昭和46年)7月30日指定[4]。
現地情報
所在地
交通アクセス
関連施設
- 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(橿原市畝傍町) - 烏土塚古墳の出土品を保管・展示。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(平群町教育委員会設置)
- ふるさとへぐり再発見14「烏土塚古墳」 (PDF)(リンクは平群町ホームページ)。
- 「烏土塚古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
- 刊行後版(ジャパンナレッジ収録)、2006年。
- 原田道雄「烏土塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「烏土塚古墳」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『烏土塚古墳(奈良県史跡名勝天然記念物調査報告 第27冊)』奈良県教育委員会、1972年。
関連項目
外部リンク
- 烏土塚古墳のページへのリンク