火縄銃の威力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 08:18 UTC 版)
黒色火薬を使用し、滑腔銃身で鉛製の丸玉を撃つ火縄銃は、ライフリングを持ち完全被甲弾を使用する近代的な小銃と比べると、長距離での弾道特性、命中率、対物威力では不利な構造となる。 しかし、火縄銃は現代の小銃や散弾銃と比べると口径が大きいため弾丸が重く、滑腔銃身から発射される鉛の丸玉はソフトポイント弾に似た効果を発揮するので、人や動物に対する殺傷力は高い。「火縄銃の殺傷力が低い」という誤解は、幕末期に施条式洋式銃を装備した洋式軍隊の前に、火縄銃を装備した旧式部隊が敗北し、兵制の洋式化が進んだことが民衆に強く印象づけられた経緯が影響していると考えられる。また、泰平の世となり実戦で具足が使われる機会がなくなった江戸時代には、具足職人が自らの作った具足を火縄銃で撃ち、防御力を誇示する「試し胴」と称する実演が各地で催され、「火縄銃を防いだ具足」が各地に文化財として遺されていることなども、この誤解への影響が大きいと言われる。 正規の薬量・弾頭重量を用いた火縄銃で、戦国期当時の一般的な足軽向けの具足を射撃した実験では、直撃すれば厚い鋼板を用いた胴体正面部分でも簡単に撃ち抜くことができ、硬い鋼板に当たって砕けた鉛弾が内側で飛散して背中側の鋼板も貫いていることから、「たとえ完全装備の具足をまとっていたとしても、火縄銃がまともに胴体に命中すれば撃たれた兵はまず助からないであろう」と結論づけている。上述の「試し胴」で具足を貫通していない例については、「銃弾を防げる」という点を強調するために、火縄銃の構造を利用して弾丸の重量や火薬量を減らしていたり、具足を木の枝などにつり下げた状態で撃ったために、銃弾を受け流す格好になったのが原因だと考えられている[誰?]。 1981年頃に行われた別冊Gun誌の実験では、三匁筒で重さ174グレインの弾丸を発射した場合、初速は330m/s程度、銃口エネルギーは現代の実包に換算すると.38ショートコルトと.38ロングコルトのほぼ中間である。この実験では50m離れた厚さ3cmの合板を完全に貫通している。 また、19世紀初頭の国友筒で弾丸を米国の射撃場で何度か発射して弾速を計測したところ、1550フィート秒(毎秒472.44メートル)から1590フィート秒(毎秒484.632メートル)までで安定していた。この約480m/s程度という弾速は音速(約340m/s)の1.4倍である。使用した火縄銃は全長130センチ、銃身長100センチと日本の火縄銃としては標準的なサイズで、「二重ゼンマイからくり」という上等な機関部を備え、銃腔内の状態も最高であった。 歴史群像編集部および日本前装銃射撃連盟会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた実験では、口径9mm、火薬量3グラムの火縄銃は距離50mで厚さ48mmの檜の合板に約36mm食い込み、背面に亀裂を生じさせた。また厚さ1mmの鉄板を貫通した。鉄板を2枚重ねにして2mmにしたものについては、貫通こそしなかったものの内部に鉄板がめくれ返ったことから、足軽の胴丸に命中した時には深刻な被害を与えたのではないかとしている。さらに距離30mではいずれの標的も貫通している。 この実験では、火縄銃に対する盾としてよく用いられた青竹による竹束についても、直径4cm・長さ1m程度のものを31本束ね直径77cm、重量14.3kgとしたものに対して射撃実験を行っている。距離28.8mで10匁玉(直径18.4mm)を撃った時には青竹を6本貫通し、竹束そのものも貫通する威力を見せた。6匁玉(直径15.5mm)の場合は青竹4本の貫通で収まり竹束全体は貫通しなかったものの、当たり所が悪ければ全て貫通する場合もあるという結果が得られた。同書では火縄銃の有効射程を200m程度としており、ヒトを模した身長160cmの静止した的に対して、30mで5発全てが胸部に着弾、50mでも5発中4発が着弾するという好成績を収めている。 距離が遠かった、弾かれやすい角度で命中したなどの条件で鎧が銃弾を受け止めた実例はあり、成瀬吉正所用の南蛮胴のように、実戦での弾痕を残した鎧が現存している。ヨーロッパ製の甲冑は厚さを増して銃弾を防いだものも存在するが、それと引換に重量が増したため、全身の防御をあきらめ、胸甲として胸部のみの防御に留めている。
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