清原氏_(広澄流)とは? わかりやすく解説

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清原氏 (広澄流)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 21:02 UTC 版)

広澄流清原氏(きよはらうじ)は、平安時代中期の明経博士清原広澄を氏祖とし、中原氏と共に明経道家学とした氏(うじ)。氏(うじ)としての略称は清氏(せいし)[1]だが、儒家の道統であることを意識する場合、中原氏の中家に対し、清家(せいけ)と略される[2]。起源は諸説あるが、寛弘元年(1004年)12月に、広澄が海氏(あまうじ)から改氏したものとするのが有力。中興祖である平安末の清原頼業は学問の神として神格化し、京都車折神社の主祭神となった。中近世には教隆業忠宣賢・舟橋秀賢らが儒学者として大成した。戊辰戦争では澤為量奥羽鎮撫使副総督を務めた。明治時代には氏族から五家が華族となった。すなわち、嫡流舟橋家と庶流の伏原家澤家子爵に叙せられ、澤家はのち伯爵に陞叙。また澤宣嘉明治維新での功により次男宣元も分家として男爵。さらに、支流の五条家九州で在地武士化していたが、家祖五条頼元建武の新政南朝での功績によって男爵に叙せられた。なお、清少納言らを輩出した皇別清原氏は同名の別氏族である。


  1. ^ 太田 1934, p. 1980.
  2. ^ 『日本国語大辞典』第二版「せい‐け【清家】」
  3. ^ a b 鈴木 1997.
  4. ^ a b c d e f 太田 1934, p. 1985.
  5. ^ a b c 塙 1819.
  6. ^ 太田 1934, pp. 1981, 1985.
  7. ^ a b c 太田 1934, pp. 1985–1986.
  8. ^ a b c 芳賀 1997.
  9. ^ 後藤 2007.
  10. ^ 太田 1934, p. 1986.
  11. ^ a b 芳賀 1997b.
  12. ^ a b 芳賀 1997e.
  13. ^ a b 村田 1997.
  14. ^ 内外書籍株式会社 編「建武年間記」『新校群書類従』 19巻、内外書籍、1932年、528–529頁。doi:10.11501/1879811NDLJP:1879811https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879811/394 
  15. ^ 太田 1934, p. 1984.
  16. ^ a b c 芳賀 1997d.
  17. ^ 芳賀 1997c.
  18. ^ 山本 & 2007年.
  19. ^ 武部 1997a.
  20. ^ 武部 1997b.
  21. ^ a b c 今江 1997.
  22. ^ 村田 1994.
  23. ^ 尊卑分脈 1904.
  24. ^ 鈴木 1987, p. 6.
  25. ^ 田中 2020, p. 13.
  26. ^ 田中 2020, p. 14.


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