段部討伐とは? わかりやすく解説

段部討伐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 22:53 UTC 版)

慕容恪」の記事における「段部討伐」の解説

段部首領段龕はかつて冉閔の乱が起こった際、その混乱乗じて本拠地令支から兵を率いて南下開始し、さらに東に進んで広固現在の山東省濰坊市青州市北西)に拠点構えると、その勢力大きく広げていた。また、自ら斉王名乗り東晋に称藩を申し入れ朝廷より鎮北将軍任じられていた。 355年10月段龕慕容儁書簡送り中表の儀(東晋建国時に誓った忠誠)に背いて皇帝即位した事を強く非難した慕容儁はこの書を見ると甚だ激怒し討伐決断した11月慕容儁太原王慕容恪征討大都督・撫将軍任じて段龕討伐命じ陽騖慕容塵副将として従軍させた。その一方で、彼は段龕勢力強盛である事を憂慮していたので、出発に際して慕容恪へ「もし段龕対岸に軍を並べて拒んでおり、渡河する事が出来なかったならば、代わりに呂護攻めてから還るのだ」と忠告した12月慕容恪はまず軍を分けて軽騎兵のみを先に黄河北岸到達させると、段龕動向伺いながら船を用意して渡河準備進めた段龕は兵を出さず慕容恪待ち構えたので、妨害を受ける事は無かった356年1月慕容恪渡河果たし広固から200里余りの所まで進撃すると、段龕は兵3率いてこれを迎え撃った両軍は淄水の南で交戦となったが、慕容恪はこれを大破して弟の段欽を捕らえ、右長史袁範らを討ち取り数千人の士卒降伏させた。また、段龕配下王友辟閭蔚を捕らえると、慕容恪は彼が賢人である事を聞いていたので、人を派遣してこうとしたが、戦傷により既に亡くなっていた。段龕広固逃げ戻って城を固守したので、慕容恪そのまま軍を進めて城を包囲した2月段龕治め諸城使者派遣し降伏促した。これにより、段龕任命した徐州刺史王騰・索頭部単于らは衆を挙げて来降した。慕容恪王騰今まで通り職務委ねて陽都鎮守させた。 諸将慕容恪速攻勧めたが、これに慕容恪は「用兵の道というのは、有る時は緩をもって敵に勝ち、有る時は急をもって攻め取るものであり、これを見極めることが肝要である。もしお互い軍勢均衡しており、敵に強力な援軍があって背後突かれる危険がある場合には、急攻した方がよいであろう。その速さこそが大利であると言える。もし我が軍の方が敵より優勢であり、外からの救援無ければ、力で制するには充分であるから、ただ束縛して守り固めて疲弊するのを待てばよい。兵法のいう『十囲五攻』とは、まさにこの事である。段龕はその賊党と恩で結しており、兵の心もまだ離れていない。済南戦い(淄水の南での合戦においては段龕の兵は精強であったが、単に無策であったために敗北至ったまでである。しかし今は天険をもって城を固めており、軍の上下は心を一つにしている。攻守勢い倍しており、これこそ軍の常法である。もし我が精鋭をもって攻勢出れば、数旬と掛からずに攻略する事が出来であろうが、恐らく我が士兵少なからず損害出てしまうであろう中原での戦い始まって以来、兵は安寧を取る事が出来ておらず、我はいつもその事考え夜に眠る事すら忘れるくらいだ。どうして人命軽んじてよいものだろうか持久をもってこれを攻めとるとする。功の速さ求めてはならんぞ!」と答えた。これを聞いた諸将はみな「とても及ぶところではありません」と感嘆し軍中兵卒はこれを聞くと皆喜んだという。 ここにおいて慕容恪は深い塹壕を掘ると共に土塁堅固に仕立て、さらに畑を耕して長期戦構え取った青州の民は段龕敗亡悟り先を争って前燕軍へ食糧供給するようになった8月段龕一族の段蘊を東晋派遣して救援要請すると、穆帝はこれに応じて北中郎将・徐州刺史荀羨救援派遣した。だが、荀羨前燕軍の強勢に恐れをなし、琅邪至った所で進軍止めた。この時、王騰鄄城侵攻しており、荀羨はその隙を突いて陽都攻めると、長雨乗じてこれを攻略した王騰もまたこれに敗れて戦死したが、荀羨そのまま広固救援には赴かずに軍を返した慕容恪は城の周囲木々伐採し、さらに糧道断ったので、広固城内では飢餓により共食い発生する有様であった追い詰められ段龕総力挙げて城から打って出たが、慕容恪敢えて陣営中に引き入れてからこれ返り討ちにした。段龕退却図ったが、慕容恪は予め兵を分けて諸々の門に配置しており、退却しようとする段龕軍を散々に打ち破った段龕自身はかろうじて単騎城内逃げ戻ったが、取り残された兵は全滅し、これにより城中士気激減した11月段龕遂に降伏決断し面縛して陣営出頭した。こうして斉の地は尽く平定され、慕容恪段龕禿(前燕から反逆し段龕帰順していた)と共に送還すると共に、斉の地に住まう鮮卑羯族3千戸余り移住させ、残りの民については慰撫してこれまで通りの生活を約束した慕容恪は鎮南将軍慕容塵広固鎮守任せると、軍を返して帰還した

※この「段部討伐」の解説は、「慕容恪」の解説の一部です。
「段部討伐」を含む「慕容恪」の記事については、「慕容恪」の概要を参照ください。

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