慕容塵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 慕容塵の意味・解説 

慕容塵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 02:55 UTC 版)

慕容 塵[1](ぼよう じん、生没年不詳)は、五胡十六国時代前燕の人物。昌黎郡棘城県の出身。

生涯

元璽4年(355年)10月、撫軍将軍慕容恪司空陽騖とともに、青州段龕討伐に向かった。

元璽5年(356年)11月、前燕が段龕を破って青州を領有すると、慕容恪は慕容塵を広固に鎮させた。

光寿2年(358年)12月、東晋の侵攻に対し、青州刺史に任じられていた慕容塵は司馬悦明を泰山の救援に遣わした。東晋の徐州刺史荀羨は大敗、前燕は山茌を取り戻した。

建熙2年(361年)4月、東晋の建威将軍桓豁が鎮南将軍に任じられていた慕容塵が守る許昌を攻めた。慕容塵は敗れ、許昌を失陥した。

建熙4年(363年)10月、長平で東晋の陳留郡太守袁披を破った。

建熙5年(364年)4月、前燕は許昌・汝南郡陳郡を攻略、慕容塵を許昌に屯させた。

建熙8年(367年)4月、竟陵へ侵攻したが、東晋の竟陵郡太守羅崇に敗れた。

これ以後の事績は、史書に記されていない。

脚注

  1. ^ 『晋書』巻74 桓豁では、慕容屈塵と記されている。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  慕容塵のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「慕容塵」の関連用語

慕容塵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



慕容塵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの慕容塵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS