東晋建国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 02:20 UTC 版)
建興4年(316年)、ついに西晋は前趙の劉曜に長安を攻め破られ滅びる。劉琨の軍団は鮮卑段部の段匹磾と同盟して辛うじて并州に勢力を保っていたが、既に前趙の勢力に囲まれ孤立無援の状態に陥っていた。 建武元年(317年)に劉琨は華北の回復は困難と判断して、江南の建康に寄る司馬睿に即位を促す使者として温嶠を遣わせた。江南では王導・庾亮・周顗らと友誼を結んで司馬睿を説き伏せ、大興元年(318年)に元帝として即位させて東晋建立に貢献。政権では東宮に入って太子左庶子に任ぜられ、皇太子司馬紹(後の明帝)の側近として信を得る。
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