司馬睿とは? わかりやすく解説

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しば‐えい【司馬睿】

読み方:しばえい

276322中国東晋初代皇帝在位317322司馬懿(しばい)の曽孫。諡(おくりな)は元帝琅邪王となり、西晋滅亡後晋王朝再興琅邪出身王氏反乱招き、乱中に病死


元帝 (東晋)

(司馬睿 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 21:24 UTC 版)

元帝(げんてい)は、東晋の初代皇帝。諱は(えい)、字は景文。宣帝司馬懿の第四子の琅邪武王司馬伷でその妻を通じて諸葛誕の外曾孫にあたる。また、母方を通して夏侯淵の外玄孫でもある。


注釈

  1. ^ 食客らの宿舎を管理する下級役人。
  2. ^ 厳密には、当時、琅邪王司馬睿の他にも、南陽王司馬保・西陽王司馬羕・新蔡王司馬滔・楽成王司馬欽・南頓王司馬宗・汝南王司馬祐・彭城王司馬雄・高密王司馬紘・梁王司馬翹・游撃将軍の司馬承ら少なくない数の晋宗室王は健在であり、また晋宗室王の何人かは混乱の中で司馬睿と共に長江を渡り東晋建立に尽力しており(五馬渡江)、東晋の時代も引き続き王室の一角を支えている。
  3. ^ 晋書』元帝本紀が引く「玄石図」という石碑の表面に「馬の後を継ぐのは牛である」という文章が記されていた。そのため曾祖父の司馬懿は牛氏(牛金のこと)を深く恨み、毒酒を飲ませて殺害した、という内容である。さらに、母の夏侯光姫は「小役人の牛氏(牛金とは別人。孫盛『晋陽秋』によれば、名は牛欽)と密通して、東晋の初代皇帝になる司馬睿を生んだ」とされる逸話がある。引き続き『晋書』以前の『魏書』(北魏書)にある「僭晋司馬叡伝」に「司馬睿は夏侯光姫と晋将の牛金が姦通して生まれた子である」という記録が残っているとされるが、時代が合致しない。牛金が司馬懿に毒殺されたことも、元帝が牛氏の血筋を引く確証性は乏しく、元帝自身が牛金の隠し子とする逸話の真偽の程は不明である。

出典

  1. ^ 『晋書』巻6, 元帝紀
  2. ^ 宮崎市定『大唐帝国 中国の中世』〈中公文庫〉1988年、144頁。ISBN 4122015464 


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