東晋より離反
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 06:42 UTC 版)
354年2月、姚襄は前燕に使者を派遣し、帰順の意を示した。 5月、江西の流民郭敞ら千人余りは東晋の陳留内史劉仕を捕らえると、姚襄に帰順した。これにより、東晋朝廷は震え上がった。 11月、東晋から帰還途上であった前秦の武都王苻安を捕らえ、洛州刺史に任じた。 355年1月、大将軍・大単于を自称し、完全に東晋と決別した。 4月、姚襄の将兵は多くが北方の人であり、みな北に戻るよう勧めると、これに従った。5月、外黄に侵攻すると、東晋の冠軍将軍高季が迎え撃った。姚襄軍は大敗を喫したが、敗残兵を集めて撫恤したことで、勢力は盛り返した。ちょうど高季が亡くなったので、機に応じて許昌へ入った。この後、関中攻略を目論み、まずは河東へ進軍する準備を始めた。
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