東晋の内部事情とは? わかりやすく解説

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東晋の内部事情

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:32 UTC 版)

淝水の戦い」の記事における「東晋の内部事情」の解説

東晋では大司馬桓温373年死去すると、兵権謝安桓温末弟桓沖委ねられていた。謝安前秦勢力拡大並びに北方西方に迫る脅威対抗するため、兄の謝奕の子すなわち甥の謝玄将軍任命し、この謝玄の下で劉牢之らを参謀登用して精強北府軍を創設したとはいえ兵力は8ほどであり、前秦軍の半分にも満たなかった。謝玄出陣する前に謝安訪ねて軍略質問したが、謝安平素と変わることなく落ち着きはらって考えはある」とだけ述べて具体的に語ろうとはしなかった。そのため謝玄やむなく引き下がったが、心配なので使者派遣して質問しても同じ答えであり、謝安親族友人集めて田舎別荘楽しんでいるのを聞くとたまらなくなって再び自ら訪ねたが、謝安別荘をかけての囲碁の手合わせ所望した。謝安囲碁の腕は謝玄より下だったが、この日は何故か謝玄勝てなかったという。 また桓沖が都の守護のために西府軍から3000人の精鋭割いて派遣してきたが、謝安は西の守りのほうが重要であるとして断った桓沖謝安遊興ふけっているのを聞いて謝安廟堂謀略持っていようが、戦略にはいかにも素人大敵が今にも来るというのに、戦の経験のない若者駆り出して防がせ、自分呑気遊んでいる。我々は胡に降参する日が来たらしい」と嘆息した史書では謝安このような態度をとったのは周囲朝臣安堵させ動揺させないためであったとされ、実際に謝安軍略があったのかどうかに関して不明とされている。桓沖援軍断ったのは、前衛突破されたら3000兵力では役に立たず、あえて断ったとされている。

※この「東晋の内部事情」の解説は、「淝水の戦い」の解説の一部です。
「東晋の内部事情」を含む「淝水の戦い」の記事については、「淝水の戦い」の概要を参照ください。

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