東晋と通じる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 08:52 UTC 版)
12月、苻堅は河州刺史李弁を涼州に移らせ、前涼との国境沿いの金城を統治させた。張天錫は前涼征伐の準備ではないかと考え、この動きに強く不安を抱いた。そのため、東晋との修好を強めようと思い、典軍将軍張寧・中堅将軍馬芮らを派遣し、東晋の三公と盟約を交わした。また、従事中郎韓博・奮節将軍康妙を東晋朝廷に派遣して表を奉じて盟文を送り、大司馬桓温に書を献じ、372年の夏に上邽に集結して共に前秦を討つ事を誓い合った。 梁景・劉粛はともに豪族の家柄であり、幼少期より張天錫と親しかった。また、張天錫が張邕を誅殺した時、梁景・劉粛は大いに勲功を挙げたので、張天錫は深くこれを徳とした。この2人は寵用されて『張』の姓を賜り、張天錫の諸子はみな『大』の字があったので、梁景は大奕、劉粛は大誠と字を改められて養子となり、国政にも参画するようになった。この縁故採用に対して国の人々は広く不満を抱き、張天錫の従兄弟であった従事中郎張憲はこれを頑なに諫めたが、張天錫は聞き入れなかった。
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