武田氏、斎藤氏、織田氏の侵攻
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「遠山氏」の記事における「武田氏、斎藤氏、織田氏の侵攻」の解説
天文23年(1554年)、信濃国を領国化しようとしていた武田信玄が南信濃と美濃の国境である伊那郡を制圧すると、岩村遠山氏と苗木遠山氏の側から臣従したという。 天文24年(1555年)、松尾小笠原氏に続いて木曽氏も甲斐の武田氏に降(くだ)り、苗木に駐留する木曽勢も武田氏の傘下に入った。同年正月には岩村遠山氏も菩提寺の大圓寺に武田信玄の禁制を掲げており、苗木遠山氏も同年のうちに武田氏に従属したとみられる。 弘治元年(1555年)、斎藤氏は遠山領への出兵を行っている[要出典]。斎藤義龍が父道三と長良川で戦った際に美濃国諸舊記には、義龍方に遠山秀友の名があるが、その他美濃諸家系譜・遠山家譜には遠山正景の弟として明知遠山氏の遠山景友を載せ、斎藤義龍に仕えて永禄5年4月に71歳で没したと記している。そのことから秀友と景友は同一人物の可能性も考えられる。 弘治2年(1556年)4月、斎藤道三が敗れ、斎藤義龍が稲葉山第二代城主となった。9月20日に義龍は可児郡の明智氏の居城の長山城を攻めた際に、討手の軍勢の中に遠山友行の名がある。(美濃国諸舊記)。さらに織田・斎藤氏の抗争において武田氏は遠山氏を通じて介入している[要出典]。7月13日に岩村遠山氏の遠山景前が没して、遠山景任が継いだ。武田氏は遠山氏の本拠地である岩村も傘下に収めており、秋山虎繁を派兵し景任の家督継承を支援している。 これにより武田氏と美濃斎藤氏は緊張関係に入り、更に武田氏の同盟相手である今川氏と斎藤氏の同盟関係である織田氏も三河国で対立していたことから、東濃においても両者は対峙する形となった。ところが、岩村遠山氏や明知遠山氏は大給松平氏や鱸氏(鈴木氏)と手を組んで三河加茂郡への進出を図って今川氏と衝突し、武田氏からの圧力や大給松平氏らが今川氏に降伏したことで一旦は自重するものの、永禄元年(1558年)には菅沼氏や前述の鱸氏と結んで今度は同じ三河の設楽郡への進出を図った。また、武田信玄は長良川の合戦によって斎藤氏と織田氏の同盟関係が崩壊し、織田信長がそれに対応するために今川氏との和平を試みた時期に斎藤氏を共通の敵とした織田氏への接近を図ったが、織田氏と今川氏の和平が挫折したことで結果的に今川氏への背信行為となってしまった。小川雄は遠山領国を舞台として斎藤氏・織田氏対武田氏・今川氏の対立構図の長期化やそれを無視した遠山氏の軍事的行動が斎藤家中の反道三派によるクーデター(長良川の合戦)や甲相駿三国同盟の崩壊の一因になったことを指摘している。一方、尾張国の織田氏もおつやの方を岩村城主の遠山景任に嫁がせて婚姻関係を築いている。 永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに、『苗木物語中』によると、苗木勘太郎遠山直廉(苗木物語中はこれを遠山友忠とする)は兵500余騎を率いて織田氏に加勢して勇名をはせ、木曽川以北の恵那郡と加茂郡の一部の2万石を安堵されたとされる。この頃、苗木勘太郎は尾張国を統一した織田信長の妹(苗木勘太郎室)を娶った。 永禄7年(1564年)岩村遠山氏の遠山景任が大井の武並神社の社殿を再建し神事を催し猿楽を行った。 永禄8年(1565年)苗木勘太郎(遠山直廉)の娘の龍勝院が織田信長の養女となった上で武田勝頼に嫁ぎ織田信長と武田信玄の同盟成立に貢献。 永禄10年11月1日(1567年)12月11日、龍勝院が武田家最後の当主である武田信勝を出産したが、出産が原因で死去。 永禄13年(1569年)には、苗木の遠山直廉が武田信玄の命により、駿河侵攻に参加した。その後、武田氏から離反した飛騨国の三木自綱の弟と戦ったが(大威徳寺の戦い)。矢傷を受けて、翌年に没した。 元亀元年(1570年)12月には武田氏の重臣 秋山虎繁が三河国を侵攻する目的で恵那郡に侵入したために、岩村遠山氏を除く他の遠山氏が迎え撃ちをしようとしたが悉く敗れた。(上村合戦)。生き延びた遠山氏は織田・徳川方に付く者と武田方に付く者とに分かれた。 元亀3年(1572年)8月に岩村の遠山景任が没すると、織田信長が岩村城に(御坊丸)を養子として送り込み、苗木城には飯羽間遠山氏の遠山友勝を養子として相続させた。同元亀3年(1572年)10月に再び秋山虎繁の軍勢が派遣され岩村城を包囲し岩村城の戦いが勃発した。降伏の条件として、養子としていた御坊丸を武田方に引き渡し甲府へ送り、おつやの方は秋山虎繁と婚姻することとなり、岩村遠山氏は武田氏の傘下となった。11月には遠山氏の菩提寺の大圓寺 (恵那市)|大圓寺をはじめとする領内の全ての寺院と神社が武田勢によって悉く焼き討ちされ滅亡した。 天正元年(1573年)8月、木曾義昌が河折籠屋を攻め落とし、苗木を攻める。
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