武田氏の偽文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:33 UTC 版)
なお、武田氏関係の古文書には偽文書が多いことも指摘され、一見してそれとわかる稚拙なものから、明らかに地域の事情に精通した人物によって作られた精巧なものまで様々な物が見られる。既に江戸時代から、甲斐国や信濃国に偽文書が多いことが知られており、その多くは武田信玄と徳川家康のものである。甲斐国では「大小切税法」という独特の金納税法を取っており、近世後期には換金相場が固定されていたことから相対的に年貢が低率となり、これは武田家以来の恩寵だという由緒が語られるようになる。そこでいわゆる「恩借証文」と呼ばれる偽文書が各地の村や家に伝来し、中には木版で印刷されたものも存在する。また、武田旧臣という由緒を誇る武田浪人たちも、偽文書を保持していた。これらは、戦功を讃えた内容に武田氏が用いた龍の朱印が捺された感状と、徳川家康による知行宛行状や本領安堵の朱印状を一緒に偽造することが多い。更に宗門人別改帳さえも、和紙の端を水で解し、その繊維を利用して紙を継ぐ喰裂継ぎという手法をもちい、別の文書に継ぎ足して内容を改ざんするという手の込んだものも見られる。このように多く偽文書が作られたのは、村落で地域の名家として成長した地主たちが、その家産に見合った家名を欲し、地域的な由緒である武田信玄と、全国的な由緒である徳川家康を組み合わせることで、武士との近似性を強調し、村落における家格の優位性を誇ろうとしたのだと考えられる。
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