木曽勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 06:21 UTC 版)
木曽義仲 北陸の覇者。軍事的な指揮能力は高いが性格はきわめて傲慢。かつて源義朝に父を討たれ、その子である頼朝にも憎悪の念を持っている。倶利伽羅峠の戦いで平家軍を打ち破り、その後怒涛の勢いで京を占領。法皇より官職を与えられるまでになるが入京以来軍の規律が緩み民間人に対する横暴がきわまってもその対策をとらず、さらにその傲慢な性格のために皇位継承にまで口を出し、法皇とも対立するようになる。横暴な性格がたたって、最終的には兵士たちからも見放されてしまい粟津の戦いで討ち死にする。 木曽義高 義仲の嫡男。義経が義仲に捕らえられたときに幽閉された部屋に侵入。義仲の子とは知らず脱走のための人質として鎌倉に連れて行かれる。激怒した義仲が奪還に動くが、頼朝の機転と父義仲への信頼から鎌倉に残ることを決意。つじつまあわせのため頼朝の長女大姫と婚約する。 巴御前 義仲の愛妾。戦場に出れば武将として際を振るう女傑であり、義仲のために命を張る女性。義仲の子義高は実子ではないものの、実の子のように大切に思っている。 樋口兼光 義仲の家臣で幼馴染。粟津の戦いでは義仲を救うことができなかったために捨て身の一撃を加えようとしたところを取り押さえられる。義経によって助命嘆願がなされるも、義仲の振る舞いを許さない法皇によって死罪を言い渡される。
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