信長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:14 UTC 版)
織田信長の弟の一人であるが、信長とは年齢が13歳離れており、前半生の事歴はあまりわかっていない。母は信秀の側室のうちの一人と推測されるも不詳。 天正2年(1574年)、尾張国知多郡を与えられ、大草城を改修する。以降、信長の長男・織田信忠の旗下にあったと思われ、甲州征伐などに従軍している。天正9年(1581年)の京都御馬揃えでは信忠・信雄・信包・信孝・津田信澄の後に続いている。また、天正10年(1582年)の左義長での順は信忠・信雄・長益・信包となっている。甲州征伐では木曽口から鳥居峠を攻め、木曽勢に助力して鳥居峠を攻略。降伏した深志城の受け取り役を務める。また森長可・団忠正と共に上野国に出兵し、小幡氏を降伏させている。
※この「信長時代」の解説は、「織田長益」の解説の一部です。
「信長時代」を含む「織田長益」の記事については、「織田長益」の概要を参照ください。
- 信長時代のページへのリンク