橋の架設
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橋は1977年(昭和52年)着手された秩父市道幹線38号線(現、秩父市道幹線8号)道路新設事業の荒川架橋工事として建設省(現国土交通省)より橋梁整備事業の承認を受け、国庫補助事業として秩父市が事業主体となり、総工費6億570万円を投じ、1978年(昭和53年)着工された。橋の施工会社は高田機工株式会社が担当した。既に上流側で久那橋が並行して1977年(昭和52年)より架設工事が実施されている中での着工で、国の国庫補助を受けたとはいえ、長大な市道の永久橋の同時架設は埼玉県内の自治体でも前例がなく、地方自治体などの関係機関の注目を浴びた。 黒谷、寺尾地区が秩父市に編入された1954年(昭和29年)頃から両地区住民の「悲願のかけ橋」や「夢の架橋」と待望された橋は1981年(昭和56年)3月に竣工し、左右両岸に国道140号から県道44号へ接続する取り付け道路である延長947メートル、幅員9.75メートルの秩父市道幹線38号線が整備され、1981年竣工した。橋は周囲に和銅遺跡や飯塚・招木古墳群が所在することから当時の加藤市長により「和銅大橋」と命名され、取り付け道路の方は「招木古墳道路」という愛称が命名された。なお、取り付け道路は招木古墳群の区域を通り、古墳7基が取り付け道路の予定地と重なったが、その内の1基である89号古墳が左岸側橋詰に移築復元されている。橋は1981年4月16日開通し、開通式は雨の降る中、黒谷側の橋詰にて10時30分より挙行され、秩父神社の神職によるお祓いや玉串拝礼等の神事のあと黒谷の獅子舞が披露された。そして市長他3名によるテープカットが執り行われ、神職を先頭に地元関係者のほか、二組の三代夫婦や幼稚園児による渡り初めが行われた。 また、左岸側橋詰に「和銅大橋完成記念」と称した記念碑が開通日と同じ1981年4月16日に設立されている。
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橋の架設
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橋は四ツ木橋や小松川大橋など荒川に架かる橋の混雑緩和を目的に東京都第五建設事務所が事業主体として建設され、1961年(昭和36年)着工され、1966年(昭和41年)竣工され、同年8月開通した。下部工(橋脚)の基礎は4基は鋼管杭脚付きケ-ソン基礎、9基は鋼管杭基礎を使用している。開通当初は用地買収や区画整理の遅れから右岸側の取り付け道路がまだ未完成だったが、1967年(昭和42年)4月に取り付け道路が竣工された。総事業費は16億2700万円であった。 かつて、荒川放水路を越えて江戸川区平井地区へ行くには四ツ木橋か小松川橋などの橋へ迂回するルートしかなく不便であったが、この橋の開通により利便性が向上し、ひいては千葉県京葉地域への重要なルートへと変貌した。 直線で見通しが良い道路であるが、橋から川に転落する事故が相次いだことから、1980年(昭和55年)秋に中央分離帯にガードレールが設置され、縁石周りに反射塗料を塗布するなどの対策を講じた。
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