様々なクオリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:56 UTC 版)
人間の体験するクオリアは実に多彩であり、それぞれが独特の感じをもつ。たとえば視覚、聴覚、嗅覚からはそれぞれ全く違ったクオリアが得られる。どういった状態にクオリアがともない、またどういった状態にはともなわないのか、この点はしばしば議論の的となる。[要出典]以下に、独特の質感を持つ、つまりクオリアを持つと多くの人が考えるものの例をあげる。 視覚体験 視覚体験には様々なクオリアがともなう。その単純さから最も頻繁に議論の対象にされるのが色であり、これには例えば、リンゴの赤い感じ、空の青々とした感じ、などがある。他にも形、大きさ、明るさ、暗さ、さらには奥行きがある。片目で世界を眺めるよりも、両目で世界を眺めた方が、世界をより三次元的に感じるのは、奥行きのクオリアが伴うからである。[要出典] 聴覚体験 聴覚からもたらされるクオリアも非常に豊かである。笛から発せられた空気振動がもたらすピーッというあの感じ、また特定の高さの音を同時に聞いたとき、つまりマイナーコードやメジャーコードといった和音を聞いたときに受けるあの感じ、そしてそれらの音が時間的につらなったときに受けるあの感じ、つまり音楽を聞いたときにうける独特の感覚などである。日本人が[l]と[r]を区別できないということは、日本人にはこの二つの音のクオリアが同じであるということだと言えるだろう。ネコの声をあらわす擬音は英語、ドイツ語、フランス語、中国語では[m]をふくむが,日本語では[n]をふくむ。これは同じネコの声でも違うクオリアとしてとらえているということである。[要出典] 触覚体験 触覚からもたらされるクオリアとしては、シルクの布を撫でた時に感じられるツルツルした感触、無精ひげの生えたあごを撫でた時に感じられるザラザラした感触、水を触ったときの感じ、他人の唇に触れたときの柔らかい感じなどがある。[要出典] 嗅覚体験 嗅覚から得られるクオリアは、もっとも言葉で表現しにくい感覚のひとつである。朝、台所から流れてくる味噌汁の香り、病院に漂う消毒液の匂い、公衆便所の芳香剤の臭いなど。 分子レベルのメカニズムとしては、臭いは鼻腔の奥の嗅細胞において検知される。ここで鍵と鍵穴の仕組みで、レセプターに特定の分子が結合した際に、特定の香りが体験される。しかしながら、ある特定の形状の分子が、なぜある特定の香りをともなっているのか、まだ分かっていない。また、マツタケのにおいを芳香と感じる民族と悪臭と感じる民族があるように、民族により臭いのクオリアも違う可能性がある。[要出典] 味覚体験 味覚は甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五つの基本味から構成されていると考えられており、これらの組み合わせによって数々の食料・飲料品の味が構成されている。分子レベルのメカニズムは、嗅覚と同様に、舌にある味覚受容体細胞において、鍵と鍵穴の仕組みでレセプターに特定の分子が結合すると、特定の味が体験されることになる。しかしながら、嗅覚の場合と同様、ある特定の形状の分子が、なぜある特定の味をともなっているのか、まだ分かっていない。[要出典] 痛覚 痛みの感覚は哲学者たちにとって、主観的な感覚について議論するための代表的な素材の一つとなっている。痛みに関する情報を伝達するC線維(疼痛)のような神経線維の活動電位と、火傷した皮膚のチリチリした痛みや、虫歯がもたらすズキズキとした感覚との間には、どういう関係があるのか。それは同一性の関係か、または別の種類のたとえば付随性といった関係か、といったことが議論される。ちなみに神経科学者のクリストフ・コッホは虫歯になってその痛みに苦しんでいるときに、「歯痛がなぜ「痛い」のか、自分の持つ生理学の知識では理解できない」と思い、そこから意識の研究者となることを志したという。[要出典] 他にも冷熱体験や、さらには感情もクオリアをともなうと考えられている。[要出典] 心的表象、意識的な思考、そして自分という感覚は、それが質感を持つかどうかについて議論が分かれる。[要出典] このようなクオリアの種類のことを感覚のモダリティーと呼ぶ。感覚のモダリティーは基本的にお互いに異なっているのだが、時には違ったモダリティーが混ざり合うこともあり、そのような現象は共感覚と呼ばれている。[要出典]
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