極東放送 (沖縄)
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極東放送(きょくとうほうそう)は、1958年2月23日から1984年8月31日まで沖縄県で中波放送(AM放送)を行っていた一般放送事業者(現:民間特定地上基幹放送事業者)。浦添市に本社、スタジオを設けていた。コールサインはJOTF(那覇 1251kHz)。現在のエフエム沖縄(コールサイン:JOIU-FM 那覇 87.3MHz)の前身である。
- ^ 当時は実験局で後に実用化試験局となり、1969年3月1日から本放送となった。ちなみに、沖縄では全国本放送開始から遅れて、復帰後の1974年3月24日に開局した。
- ^ @fm_okinawa (2022年5月15日). "外国法人が持っていた、宗教放送、米軍との距離が近い。…". X(旧Twitter)より2022年5月16日閲覧。
- ^ 第68回国会 衆議院 決算委員会 第3号 昭和47年4月4日(PDF) - 国会会議録検索システム
- ^ @fm_okinawa (2022年5月15日). "「極東放送が復帰後も継続に至った理由は…". X(旧Twitter)より2022年5月16日閲覧。
- ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、345頁。
- ^ 極東放送 代表取締役社長
- ^ a b c 極東放送 取締役
- ^ 新しいダイヤル登場 極東放送 きょう第二放送開始 - 琉球新報1960年2月7日朝刊5面
- ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年3月)」『月刊民放』第8巻第6号、日本民間放送連盟、1978年6月1日、50頁、NDLJP:3470910/26。
- ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年4月)」『月刊民放』第8巻第7号、日本民間放送連盟、1978年7月1日、50頁、NDLJP:3470911/26。
- ^ 「放送」『月刊アドバタイジング』第28巻第11号、電通、1983年10月25日、72頁、NDLJP:2262018/38。
- ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(58年9月)」『月刊民放』第13巻第12号、日本民間放送連盟、1983年12月1日、54頁、NDLJP:3470976/28。
- ^ 「ハイサイ ウキミソーチ」は「どうも おはようございます」、「ミークハヤー(ミークファヤー)」は「目覚まし」を意味する。
- ^ FM沖縄に移動後放送時間が縮小し、のちに終了。メインパーソナリティを長年務めていた吉田安盛は放送終了半年前に降板、放送局をラジオ沖縄に移して『安盛の暁でーびる』をスタートさせている。
- ^ 当時は23:00からの放送で早朝にも再放送したが、FM沖縄改組時に本放送を6:30に移行、再放送は廃止し「さわやか学習」のサブタイトルをつけて放送した。
- ^ 2021年9月26日まで放送された。
- ^ 三才ブックス「ラジオ番組表速報版」1983年秋号
- ^ FM局では日本ビクター(現・JVCケンウッド)がスポンサーだったが、当局ではその地元子会社(沖縄ビクター販売)がスポンサーだったため、事実上の番販ネットだった。
- ^ FM局ではタイトル通り25:00(1:00)から放送されていたが、当局ではFM局から一週間遅れの24:00(0:00)からノンスポンサーで放送されていたため、「FM25時」を名乗ることはできなかった。また、24:00の時間、FM局ではJET STREAMを放送しており、当局ではFM沖縄に改組・転換されるまで放送されなかった。
- ^ 「2ヶ月間番組スケジュール」『ラジオライフ』第1巻第4号、三才ブックス、1980年12月1日、44頁。
- ^ 1972 - 1973年版から1983 - 1984年版までの放送。FM沖縄改組後はJFN版の年跨ぎ放送をネットしている。
- ^ a b 日本語局と英語局(KSAB → JOFF)による2波同時の立体放送(ステレオ放送)
- ^ 2009年9月1日付けで財団法人(現・公益財団法人)日本英語検定協会に合併され、現在はその通信教育部となっている。
- ^ “ラジオDJ仲地昌京さん死去 RBCで懐メロ番組、極東放送でも 85歳”. 琉球新報DIGITAL. 琉球新報社. (2022年3月11日) 2022年3月11日閲覧。
- 1 極東放送 (沖縄)とは
- 2 極東放送 (沖縄)の概要
- 3 概要
- 4 資本構成
- 5 開始・終了のアナウンス
- 6 関連項目
「極東放送 (沖縄)」の例文・使い方・用例・文例
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