日本ルーテル・アワーとは? わかりやすく解説

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日本ルーテル・アワー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 14:46 UTC 版)

日本ルーテル・アワー(にほんルーテル・アワー)は、かつて存在した日本におけるルター派である日本福音ルーテル教会の放送伝道部門である。


  1. ^ ちなみに現在も放送している太平洋放送協会製作の『世の光』(スタート当初は『暗き世の光』)はルーテルアワーが始まった翌年の1952年にスタートしている。
  2. ^ 記念すべき第1回目は当時、立教大学英文科教授であった根岸由太郎による説教を放送。因みに放送当日は宗教改革記念日でもあった[4]
  3. ^ 朝日放送(ABCラジオ)では11月8日、ラジオ九州(現在のRKB毎日放送)では12月2日、北海道放送では1952年3月16日にそれぞれ放送開始。1954年4月時点で26局ネット、1961年4月には31局ネットにまで拡大した[5]
  4. ^ 当時の宗教番組でも珍しい日曜19時枠と言うゴールデンタイムで放送されていた時期がある。
  5. ^ 1951年12月30日から1972年4月9日まで放送。[6]
  6. ^ また、ニッポン放送でもTBSラジオと並行して放送した時期がある。
  7. ^ TBSラジオでの放送終了の翌週である、1972年4月16日から1973年9月30日までの毎週日曜7:00-7:30に放送
  8. ^ 1978年9月時点で日曜(月曜)25:30-26:00に放送。
  9. ^ ルター派の信者でもあったバッハが作曲した楽曲が主に取り上げられていた。
  10. ^ 朝日放送ラジオプログラム(1980年4月号、朝日放送ラジオ編成部)参照。
  11. ^ ABC朝日放送ラジオプログラム(昭和51年3月1日、朝日放送ラジオ編成部発行)参照。
  12. ^ 近畿福音ルーテル教会がかつて保有していた伝道用の鋼鉄船(78t)で1962年に造船。別名・ペテロ号。船内は礼拝堂となっており、教会のない漁師町地区での伝道活動を行い、洗礼を受けた信徒が増え、大阪や和歌山の湾岸地区に数々の教会が生まれた[14]
  13. ^ アメリカ南部一致ルーテル教会の宣教師で1898年に来日。晩年は神戸ルーテル神学校で教鞭をとっていた。1970年没。
  14. ^ ただし、NETでは再放送扱い。また北海道テレビは本放送当時に北海道放送、福島中央テレビは本放送当時に福島テレビ、中京テレビは本放送時に名古屋放送(現:メ〜テレ)、瀬戸内海放送は本放送当時に西日本放送にて放送しているため実質的な再放送である。
  15. ^ 「ルーテルアワー カプセル・メイト」のパーソナリティであった青木淳は1988年12月放送の最終回で「ポケットサイズの新約聖書を(この番組だけで)約1万人に進呈した」と公言している。
  1. ^ 「キリスト新聞」 昭和32年12月24日付参照。
  2. ^ 日本ルーテル・アワー、活動終える - クリスチャントゥディ 2003年6月16日
  3. ^ a b c d 日本福音ルーテル教会・教会史資料編纂委員会ニュース「歴史は語る」第8号「特集・ルーテルアワー」 2013年12月15日参照。
  4. ^ 「アガペー愛〜日本ルーテル・アワーの30年〜」(1981年、日本ルーテル・アワー) 31ページ参照
  5. ^ 日本ルーテル・アワー「アガペー愛~日本ルーテルアワー30年~」57ページ参照
  6. ^ 東京放送ホールディングス「TBS50年史・資料編」201ページ参照
  7. ^ 「日本経済新聞」1972年4月16日、1973年9月30日付テレビ・ラジオ欄参照。
  8. ^ 「朝日新聞」1982年5月30日付テレビ・ラジオ欄参照
  9. ^ 月曜から土曜までの早朝枠での放送だった。
  10. ^ 盛善吉さんを偲ぶ会編集委員会編「又会おうどこかで-盛善吉(作家・脚本家・映画監督)の世界-」(2000年、みずのわ出版) 第8章「盛善吉作品年表」362-370ページ参照
  11. ^ 「こころの歌」の放送時点で朝日放送にもネット。
  12. ^ ラジオライフ別冊「ラジオ新番組速報版 1982年秋号」(1982年、三才ブックス)参照。
  13. ^ キリスト新聞社「キリスト新聞」(縮刷版)昭和32年12月24日付参照
  14. ^ 中日ニュース『海を行くペテロー大阪ー』(中日映画社、1963年1月公開)、クリスチャン情報ブックweb版「近畿福音ルーテル教会」参照。
  15. ^ コンコーディア社「月刊福音手帖」(1970年10月号)巻末「日本ルーテル教団・教団だより」6ページ、および「テレビ朝日社史 ファミリー視聴の25年」(1984年、全国朝日放送) 387ページ参照。
  16. ^ コンコーディア社「月刊福音手帖」(1970年11月号)巻末「日本ルーテル教団・教団だより」参照。


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