植林の研究と成功とは? わかりやすく解説

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植林の研究と成功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 09:04 UTC 版)

栗田定之丞」の記事における「植林の研究と成功」の解説

1797年寛政9年)の秋に定之丞は山本郡林取立役任命され、更に郡方御物書と砂留方を兼任されられる当時山本郡林取立役は4人いて、その4人で植林砂防をすることになった年ごと莫大な金額人員使ってもその甲斐がなく、いくら植林しても砂に埋没するありさまだった。翌1798年寛政10年)にはその役は一人引き受けることになった。役頭の大森六郎右衛門相談すると、大口村の兵右衛門浅内村五右衛門水沢村庄藏以前から砂留方に励み褒賞もらった人物だから、彼らに相談すると良いと言われる。定之丞は三人呼び若干与え話を聞いた。更に、9月末から10月始めまで八森村から芦崎まで一村につき一・二滞留して巡回した以前植林成功した場所は全体百分一に過ぎなかったが、珍しく成功した場所の植林時期植林法を村人尋ねた三人口をそろえて砂留めは普通の忍耐ではとうてい出来ることではない。たとえば一ヶ所50間の所に20年余り継続しないとだめだし植え付け成功して春秋の二回は人を出して念入りに手入れをしなければならない毎年の手入れ継続しないと、すぐハゲ山変わってしまう」と、植林にはかなりの年月と金額、人員を必要とするとの証言をした。 そこで定之丞はとにかく協力者求め、各肝煎集めて人足募集した。しかも財政逼迫の折だから日雇銭を出せないが、成功したなら生活が楽になる説得した今まで工賃貰えたのに、それが覆されたのだから不平から定之丞に対す憎悪となった。定之丞自身休息取らずに、わざわざ大風の日を幸いとして工事をして高みから観測した大内田神官である清水直宣の栽止砂風記には「初めは定之丞が仕事をさせるのは農閑期だった。そのため植え季節初冬で、人足率いて海風の中を往来していた。皆は仕事達成できないものだと思い、定之丞を笑う者や、恨む者がいて仕事引き継ぎ時に罵声を定之丞に浴びせる。しかし定之丞はそれを意に介さなかった」とある。この時、定之丞が丹下氏出した手紙には戦場にただ一人出て敵と差し違える決意業務に向かうことが、後生の手本になると彼の気持ち語っていた。 このとき、清水直宣の栽止砂風記では「定之丞が地方巡回する際に、一面砂浜一点の青いものが見えた近寄って見れば破れた草鞋陰に生えているものであった。定之丞はそこで、束ねての上にさし、風の陰にヤナギ植林して、根付いたなら土で根を包んでアキグミ植え、これも根付いたならその陰に初め植えることで初め生長させることができた」としている。この記述栗田家伝承一致する工事南部浜田村から始まり1798年寛政10年)から1804年文化元年)の工事砂山草地多くなり、松苗点々として砂が飛ぶことが少なくなった。長百姓大山四郎それまで定之丞を大い罵倒して次の春に松苗生えていれば、首をやる」と言っていた。しかし、翌年松苗生えていたので改心して夜を徹して定之丞の官宅泊まり込み仕事をし、袴田與五郎書簡書いてもらいひたすら謝って無罪放免となった浅内村では植林結果新田開発可能になった。1794年寛政6年)では新田開墾22石だったのが、1802年享和2年)で73石になり、1805年文化2年)では105石余となった。これは浅内村枝郷黒岡での堤の完成よるもので、浅内沼下流通称ヨブ谷地と言われる難所での堤の完成も、植林による砂留効果であると考えられるまた、1808年文化5年)と1809年文化6年)の凶作時には食糧不足発生したが、農民砂留山の中から草の根取り食料し、また松林から取って焚き物にすることができた。 定之丞はこの成果により佐竹義和から1805年文化2年10月15日20石を加増された。 定之丞が植えた能代市内に古木として一部が残るほか、沿岸防砂林人々によって植林続けられ風の松原呼ばれる広大なになっている

※この「植林の研究と成功」の解説は、「栗田定之丞」の解説の一部です。
「植林の研究と成功」を含む「栗田定之丞」の記事については、「栗田定之丞」の概要を参照ください。

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