植林事業の完了以降から現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:04 UTC 版)
「庄内砂丘」の記事における「植林事業の完了以降から現代」の解説
海岸林は燃料や木材などの生活物資を得る場として暮らしに必要不可欠な存在であったが、化石燃料が普及したことにより、松葉かきや枯れ枝の採取などの作業を行う必要がなくなった。また植林事業が進み、さらにクロマツの成長とともに飛砂被害も減少していったことにより、人の手も心も松林から次第に離れていき、人の手が入らなくなった松林は落ちた松葉が堆積し、植生の遷移が加速度的に進むと同時に、林が過密化し、草のつるが巻きつき、やぶとなり荒廃が進んでいった。そして戦後の経済発展に伴う大規模な港湾建設事業や、人口の増加に伴う宅地造成の盛土材としての丘砂の需要の拡大による砂採取を目的とした砂丘開発が進められ、大量の松林が伐採された。さらに昭和50年代中頃には、西日本・東日本で猛威を振るっていた松くい虫の被害が庄内海岸砂防林でも確認され、急速に被害が拡大・まん延し、管理が行き届かなくなっていた庄内海岸砂防林の荒廃に拍車をかけることになった。今では、行政機関や森林ボランティア団体による整備活動が主催する整備活動のほか、森林環境教育の一環として学校による整備活動や、地域貢献の一環として企業による整備活動も行われている。
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