東勝寺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 東勝寺跡の意味・解説 

東勝寺跡

名称: 東勝寺跡
ふりがな とうしょうじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 神奈川県
市区町村 鎌倉市小町
管理団体
指定年月日 1998.07.31(平成10.07.31)
指定基準 史2,史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 東勝寺跡は,国指定史跡鶴岡八幡宮境内南東滑川渡った葛西ケ谷と呼ばれる谷戸立地する滑川西岸には,最後北条氏得宗高時一族菩提を弔うために,後醍醐天皇高時邸跡に建立した宝戒寺がある。宝戒寺のある市街地葛西ヶ谷とを結ぶ東勝寺という。
東勝寺青龍山と号し開基三代執権北条泰時開山栄西弟子退耕行勇である。当初は禅密兼修北条得宗家氏寺で,正確な創建年代不詳だが,開山退耕行勇仁治2年(1241)に東勝寺没している。元弘3年(1333)5月22日新田義貞等の鎌倉攻めにより犀敷を焼かれ北条高時は,葛西ヶ谷に引き籠もり東勝守の伽藍堂舎に火をかけて,一族郎党以下870余人とともに自害し果て鎌倉幕府滅亡した『太平記』)。東勝寺その後直ち再興され室町時代には関東十剰の第三位列する名刺であったが,元亀四年(1573)には旧東寺領所領建長寺僧侶与えられていたことが明らかであり(仏日庵文書),この頃には廃絶していたと考えられる
葛西ケ谷は,滑川限られた酉に向かって開口する谷戸(約10万ヘクタール)で,貞享2年(1685)刊行の『新編鎌倉志』にはこの地が東膵寺の旧跡であると記載されている。
寧戸は三つの支谷に分かれており,指定予定地は,北側及び中央の支谷とその周辺丘陵部で,「高時腰切やぐら」と通称される880余人首塚を含む範囲である。
昭和50・51年と平成8・9年に,北側及び中央の支谷を中心に発振調査が行われた。出土物の年代炭化物層及び被熱の状況から,元弘3年には存在していたと推定される鎌倉石切石積み上げた石垣切石敷いた坂道岩盤掘削した溝,門跡推定される地覆石列,礎石建物1棟(柱間6尺6寸,2間×4間以上),擁立建物1棟(柱間7尺,4寸角柱桁行7間以上×梁間4間)等の遺構良好に遺存していることが確認された。北条氏家紋である三鱗文の瓦が出土したことにより,ここが近世地誌記載伝承のとおり東勝寺跡の重要な一画であることが判明した出土遺物には,一般寺院跡ではみられない中国産の青磁香炉足褐軸香炉天目茶碗国産古瀬戸朽葉文壷等が多琴含まれており,流通対外貿易掌握していた北条得宗家氏寺ならではの優品として注目される
発掘調査併せて実施した周辺部地形調査では,滑川前面の堀とし,丘陵部に崖を切り落とした人工的な切岸,削平平場を配置して要害化した状況がよく残っており,城郭的な色彩の強い寺院構造であったことが確認されている。東勝寺は,北条得宗家邸宅のすぐ東側位置し政権最高権力者得宗家を守ることを目的一つとして建立されたことは明らかである。
東勝寺跡は,北条泰時創建した得宗家氏寺跡で,鎌倉幕府北条氏得宗高時一族の終の地となった城郭的な機能持った寺院跡としても特異であり,禅宗寺院としての寺格高く遺構・遺物依存状態も良好である。よって、史跡指定し保存図ろうとするものである

東勝寺 (鎌倉市)

(東勝寺跡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 00:29 UTC 版)

東勝寺(とうしょうじ)は、かつて神奈川県鎌倉市葛西ケ谷にあった寺院[1]鎌倉幕府執権として活躍した北条氏菩提寺のひとつ。関東十刹の一つであった[1]


  1. ^ a b c d e f 新編相模国風土記稿 小町村 東勝寺廢蹟.
  2. ^ 『太平記』巻十「高時並一門以下於東勝寺自害事」
  3. ^ 貫達人,川副武胤 (著)「鎌倉廃寺事典」有隣堂、1980年)


「東勝寺 (鎌倉市)」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東勝寺跡」の関連用語

東勝寺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東勝寺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東勝寺 (鎌倉市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS