旧経営陣のその後
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「日本長期信用銀行」の記事における「旧経営陣のその後」の解説
当初、1998年(平成10年)9月末時点での金融監督庁検査では、有価証券の含み損を含めて債務超過額は3,400億円とされていた。しかし、その後の資産査定の結果、債務超過は国有化時点で2兆円を上回っていたことが判明する。その後、投入された公的資金は約7兆9,000億円、そのうち債務超過の補填分約3兆6,000億円は損失が確定。さらに、前述の瑕疵担保条項の行使で、預金保険機構を通じ国が買い取った債権も将来的には損失が予想され、最終的な国民負担額は4-5兆円に達するとされる。 1999年(平成11年)6月、東京地方検察庁特別捜査部は、粉飾決算容疑で、大野木元頭取ら旧経営陣3名を証券取引法違反容疑で逮捕した(長銀事件)。2002年(平成14年)9月、一審・東京地裁は有罪判決。2005年(平成17年)6月、二審・東京高裁は控訴棄却、大野木被告は懲役3年・執行猶予4年、元副頭取の鈴木克治・須田正己両被告はいずれも懲役2年・執行猶予3年とした。しかし、2008年(平成20年)7月18日、最高裁は1審及び2審の判決を破棄し、当時においては新しい基準において関連ノンバンクに対する引当をすることが求めているか不明確であったなどとして、関連ノンバンクについては従来の会計基準にしたがっても違法ではなかったとして無罪を言い渡した。 長銀の不良債権を引き継いだ整理回収機構は、 1998年3月期決算などの違法配当 関連ノンバンクへの不正融資 リゾート開発会社への過剰融資 等を理由に、元頭取の堀江鉄弥・大野木克信ら旧経営陣14名に対して計5件・総額約94億円の賠償を求めて提訴した。このうち、2. に関して、2004年(平成16年)3月、一審・東京地裁は、融資の一部に「銀行の公共性に反し裁量逸脱があった」として鈴木克治元副頭取と千葉務元常務に計11億円の賠償を命じたが、控訴審にて其々2,500万円の賠償にて和解が成立した。ただし、1. に関しては、2005年5月の一審・東京地裁、2006年(平成18年)11月の二審・東京高裁は共に「違法な会計処理ではない」として請求を棄却した。最高裁も、2008年7月に、1. に関する整理回収機構側の上告を棄却する決定を出した。 長銀破綻後の新経営陣は内部委員会による調査を行い、1999年6月、民事責任追及に関する最終報告をまとめた。これに基づき、 1997年(平成9年)9月期中間決算及び1998年3月期決算における違法配当 イ・アイ・イ・インターナショナルに対する融資 日本海洋計画に対するプロジェクトに対する融資 長銀主要関連ノンバンクの日本リース・日本ランディック・エヌイーディーの3社に対する支援について長銀に損害を与えた として、元会長・増澤高雄、元頭取・堀江鉄弥及び大野木克信を含む旧経営陣15人に対し、総額63億円の賠償を求める提訴を行った。 一方で、1999年5月に上原隆元副頭取、福田一憲大阪支店長が相次いで自殺した。2人は一連の不良債権隠し・粉飾決算を解明するキーマンと言われ、捜査当局から事情聴取を受けていた。この自殺により、他の旧経営陣の責任追及の手が緩められることになったと言われている。 なお、かつて「長銀中興の祖」「長銀のドン」と呼ばれ、「経営破綻の一番の元凶」と名指しされた杉浦敏介は、1992年(平成4年)の退職時に9億7,000万円を手にしているが、時効により刑事立件はなされなかった。ちなみに、歴代役員らに対する退職金の返還要求が高まる中、最後まで批判を退けていたとされるが、結局、自宅を売却し2億円を返還した。 杉浦は長銀が新生銀行として再出発した6年後の2006年(平成18年)、94歳で没した。 なお、破綻処理のために日本銀行から派遣されて、長銀としては最後の頭取となった安斎隆は、アイワイバンク銀行(現・セブン銀行)に転じて同社の初代社長となり、現在はセブン銀行の代表取締役会長となっている。
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