日本軍の昼間攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 18:00 UTC 版)
ラバウルの空襲警報は8時30分に解除され、すでに日本軍の偵察機により発見されていたモンゴメリー隊に対する連合攻撃が実施された。当初攻撃隊の発進時刻は10時とされたが、カビエンから艦攻の進出が遅れ、この事実を飛行場で直前に知った小沢は発進時刻を11時に変更した。当時ブナカナウ基地(ラバウル西飛行場)には艦爆、艦攻、瑞鶴零戦隊がおり、ラクナイ基地(ラバウル東飛行場)には翔鶴、瑞鳳の零戦隊と基地航空部隊の零戦隊がいたが、ラバウルの東西飛行場間には直通電話がなく、また基地航空部隊司令部とブナカナウ基地にも直通電話がなく、このため連絡が遅れ、発進時刻変更を知らないラクナイの戦闘機隊は10時に発進してしまった。それを見たブナカナウの攻撃隊も急いで発進、10時16分から54分までの間に全機発進したが、基地航空部隊の32機を指揮したのは経験の浅い予備士官だったため空中合同に失敗、そのまま12時に帰投してしまった。結局最終的に出撃したのは、戦闘機33、艦爆23機(内3機機体トラブルで引き返す)、艦攻14機の合計71機で、基地航空部隊からは五〇一空の彗星艦爆4機のみとなってしまった。攻撃隊は11時42分、セントジョージ岬155度110浬にモンゴメリー隊を発見、敵戦闘機による邀撃と激しい対空砲火をおして艦爆隊は11時50分、艦攻隊は12時4分、それぞれ攻撃を敢行した。この直前より戦闘機隊も敵戦闘機との激しい空戦に入った。その結果艦攻隊は全機未帰還となり、艦爆は17機、彗星2機、零戦2機が未帰還となる大きな損害を受けた。 この日の作戦後、現地部隊ではこれらの大損害について、敵通信からの情報を元に米機動部隊にはソロモン、ニューギニア方面から機動部隊の直衛として戦闘機集中させていたこと、また敵防御砲火の熾烈さなどを理由としてをあげている。これらは事実であり、この日モンゴメリー隊には艦隊直掩として着艦経験のある搭乗員の操縦するVF-17のF4U戦闘機24機(バンカーヒルに搭載)とVF-33のF6F戦闘機12機(インディペンデンスに搭載)がニュージョージア島より派遣されており、それぞれの母艦の上空警戒に参加しているまたモンゴメリー隊自身も11時13分には119浬離れた日本軍攻撃隊の接近をレーダーで探知、11時25分には邀撃戦闘機を発艦させ、それらの戦闘機隊は11時51分、空母の40浬前方で日本軍攻撃隊を迎えうった。日本の九九式艦爆が放った爆弾はインディペンデンスの対空砲火によって撃ち落とされ、駆逐艦キッドは、撃墜された搭乗員の救助のため陣形を離れたところを2機の艦攻に狙われたが、魚雷は命中せずこの艦攻は撃ち落とされた。最も日本軍の標的にされたバンカーヒルは僚艦エセックスの倍以上の対空弾幕を放っており、モンゴメリー隊の対空砲火がいかに熾烈であったかを物語っている。また、この戦闘ではVT信管が使用されており、日本軍はついに終戦までその存在を知らなかった。 11日昼の空襲時におけるアメリカ空母の消費弾数5インチ砲40ミリ機関銃20ミリ機関銃バンカーヒル532 4878 22700 エセックス216 2302 8891 インディペンデンス— 1294 1871 なお、この日モンゴメリー隊は11機の艦載機を失った。 この日の夕方から夜にかけて、戦果拡大のため七〇二空から陸攻5機、七五一空から陸攻6機、一航戦から艦攻が4機、五八二空の艦攻6機が夜間雷撃に向かったが、モンゴメリー隊はすでに戦場を後にしており、この海域にいるのは支援部隊のメリル隊であった。この艦隊に対し七〇二空の陸攻隊のみが攻撃に成功し、防御砲火をおして17時45分から18時10分に雷撃を決行、帰還後魚雷命中を報じたがメリル隊に命中弾はなかった。 大本営は11日の攻撃を「第三次ボーゲンビル島沖航空戦」と呼称することとし、その戦果巡洋艦1隻撃沈、戦艦1隻中破、大型空母2隻中破、巡洋艦および駆逐艦5隻大破、撃墜2機」と発表した、なお、これに先立ち11日、天皇は古賀に対し「勅語」を出しているが、これは大本営において戦果の大きさを信じていたことを示している。
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