日本軍の救援作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:51 UTC 版)
タラワの戦いの間、米軍の来襲を知った日本軍は、救援のために以下のような作戦をおこなっていたが、十分な成果を上げることは出来なかった。 まず連合艦隊は、上陸のあった21日に、ポンペイ島にいた陸軍甲支隊の派遣を決めた。軽巡3隻(那珂、五十鈴、長良)、駆逐艦2隻(雷、響)、輸送船2隻からなる輸送部隊と、重巡4隻(鳥海、鈴谷、熊野、筑摩)、軽巡1隻(能代)、駆逐艦5隻(早波、藤波、初月、野分、舞風)からなる邀撃部隊を編成し、26日までにマーシャル諸島のクェゼリンに進出させた。しかし、タラワからの通信が22日の午前中から途絶し続けたために、甲支隊の派遣は中止された。 つぎに連合艦隊は潜水艦9隻をギルバート海域に進出させ、米海軍機動部隊の攻撃及び索敵を行った。その結果、24日に伊175潜(田畑直艦長)がマキン沖で護衛空母リスカム・ベイの撃沈に成功したが、日本軍は引き換えに伊19など潜水艦6隻を失った。 また、マーシャル諸島のルオットから出撃した海軍航空隊による反撃も行われた。21日にはギルバート沖の米機動部隊を目標としたギルバート諸島沖航空戦が展開され、軽空母インディペンデンスを大破させた。22日には陸攻9機、戦闘機39機が発進したが、天候不良のため途中で引き返した。この攻撃隊は陸攻の魚雷を爆弾に積み替えて、タラワ上陸部隊の昼間攻撃に再び発進したが、これも天候不良のため途中で引き返すこととなった。 22日の夜にルオットを発進した陸攻4機は深夜、タラワ上空に到着した。陸攻は米軍の上陸地点と思われる地点を二航過して爆弾8発を投下し、米軍は戦死者1名と戦傷者8名を出した。しかし、米軍によればこの爆撃は日本軍陣地にも着弾してしまい、日本軍にも被害が出たと思われるが詳細は不明である。
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