日本における養子縁組制度の歴史とは? わかりやすく解説

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日本における養子縁組制度の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:57 UTC 版)

養子縁組」の記事における「日本における養子縁組制度の歴史」の解説

日本の歴史において、最初に現れる養子に関する法律は、唐の律令法影響受けて成立した大宝律令であるといわれている。ただし、中国の宗族社会違って氏姓制度延長上に成り立った日本社会では、中国のような厳格な制限設けられず、一定の年下の者であれば養子縁組比較簡単に許された。このため貴族社会においては高官優秀な孫や庶流傍流出身者養子迎え蔭位制度を活用してその出世助けることで、結果的に一族繁栄図ろうとするための養子縁組多くなった。また、時には遠い親戚異姓出身者養子にする者もあった。また、平安時代までは、「養子」とより擬制的な要素の強い「猶子」との区別はあいまいであった。家の継承という要素強くなり、養子猶子分離が進むのは、中世以後のことであるが、南北朝時代入って混用残っていた。 当時養子縁組代表的な例として摂関家を例に取ると、仁寿年間851年-854年間)に文徳天皇義父として権力振るっていた正二位右大臣藤原良房男子がいないために長兄正三位参議であった長良三男基経養子迎えたその結果基経養父蔭位によって17歳若さ蔵人になった一方で長良の子としてそのまま育ったその同父兄弟は、兄・国経が31歳、弟・清経32になってやっと蔵人到達したのである。さらに、良房が摂政太政大臣登り詰めたに対して長良権中納言死去したために、その出世格差広がるばかりであった異姓養子の例としては、姉婿である藤原頼通養子となって後の村上源氏繁栄基礎築いた源師房などがいる。 そのため、上級貴族は少しでも子孫にとって優位な出世をさせるための養子縁組次々とむようになっていく。極端な例としては、同じく摂関家藤原忠実その子・孫ケース挙げられる忠実長男・忠通に男子ができなかったために、忠実自分寵愛していたその弟の頼長を忠通の養子にさせた。その後、忠通に実子生まれて忠実・頼長と忠通が不仲になると、頼長の息子である師長早く出世させるために、忠実師長自分養子にして蔭位便宜図った。この結果師長からみて忠通は本来の系譜上の伯父というだけでなく、同時に祖父でもあり兄でもあるという大変複雑な事態生じたのである鎌倉時代後期以後になると、家督所領一体化進んで嫡子相続一般的になるにつれて、家の存続最優先とした養子縁組が行われるようになる。特に武士では、当主男子がいない場合もしくは幼少場合に、主君への忠勤尽くせないことを理由所領没収されるなどの事態避けるため、養子縁組を行うことが一般的となった実弟養子とすることや、養父実の息子養子義理の弟)を養子自身養子とすることはしばしみられる。これらはいずれ順養子という。後者順養子場合、1代限りであれば間に入った養子中継ぎ立場になるが、代々順養子重ねて両統迭立のような形になる例もある。また、娘に夫を迎えて養子とする婿養子大名参勤交代などの折に、万が一事態備えあらかじめ届け出る仮養子大名・家臣が急に危篤になった場合出される末期養子などがあった。このほか、他家大名などを縁戚として傘下取り込みたいが実の娘に適当な者がいない場合一族重臣の娘を形式的に養女とした上で娶せることも行われた養女に夫を迎え形式婿養子の例もあった)。 江戸幕府当初様々な養子規制設けたものの、慶安の変きっかけ末期養子の禁緩め享保18年1738年)には当主か妻の縁戚であれば浪人陪臣でも養子が可能とされた。養子規制時代が下るにつれて緩くなり、江戸時代後期には商人などの資産家二男以下が持参金持って武家養子行って武士身分を得るという持参金養子盛んになり、士分取得容易にした。一方商人農民などの庶民間における養子縁組は、証文やり取りだけで縁組離縁比較的容易であり、「家名存続」よりも「家業経営」を重視した養子縁組が行われることが多かったまた、享保制度変更によって女性の名義では借家借りることができなくなったことから、女性だけの世帯が家を借りる際には、男性名義借りるための便宜的な養子縁組が行われるようになった明治時代以後になると「家」を社会秩序中心に置く家制度全ての階層広げられ結果養子縁組家制度維持という観点行われること多くなった。それが大きく変わるのは第二次世界大戦後の日本国憲法制定に伴う民法改正以後のことである。

※この「日本における養子縁組制度の歴史」の解説は、「養子縁組」の解説の一部です。
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